死去・中村吉右衛門さん「芸事の鬼、素顔は仏」の二面性…対照的な「役への厳しさ」と「家族への柔和さ」

スポーツ報知
尾上菊之助(左から2人目)と娘の瓔子さん(同3人目)の婚約報告会見で笑顔を見せた中村吉右衛門さん(右端)と尾上菊五郎(13年2月)

 歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが11月28日午後6時43分、心不全のため都内の病院で死去していたことが1日、明らかになった。77歳だった。「熊谷陣屋」の熊谷直実、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助など多くの当たり役を持ち、歌舞伎界を代表する立役(男役)だったほか、時代劇ドラマ「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵役でも知られた。3月28日に急性の心臓発作で倒れ療養していたが、復帰はかなわなかった。葬儀、告別式は親族葬にて執り行う。

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 スポーツ報知の歌舞伎特集面に登場してもらうため、晩年の6年間、毎年インタビューする機会に恵まれた。毎回驚かされるのは、役の奥義、深淵(しんえん)について語るときの厳しさや険しさと、家族について語るときの柔和さの対照的な表情の違いだった。

 当たり役の俊寛。自分を残して遠ざかる船を手を伸ばして見送るラスト。「目の前にあるのは海だけ。観客席が消えてなくなるのです」と言った。「ぼう然自失というより存在の“無”。実父(初代松本白鸚)は『石になれ』と。その気持ちでやるうち、“弘誓の船”(ぐぜいのふね=誓いの船)が降りてきた」。80歳での弁慶とともに、「俊寛」の海外公演を実現させたかった。「流刑地のあった英、仏、伊なら特に理解してもらえる」と候補国まで挙げていた。

 映画「柘榴坂の仇討」(14年)で演じた井伊直弼の話を思い出す。「桜田門を通り過ぎるとき。何も気にせず通れる場所ではないんです。ここに首洗いの井戸があったとか、なぜこんな短い距離で(暗殺が)起こったのか。雪で真っ白になったときなどいっぱい考えるんですよ」。歌舞伎の世界に生きるとは、常に時空を超えた感覚を持つことだと教わった。

 対照的に義理の息子となった菊之助、孫の丑之助の話をするときに見せるニコニコの優しい顔。菊之助が公演準備でインドに行った時など「大丈夫かな。心配で心配でね」。息子になって以降、立役(男役)の指導も増えたが「彼が女形に戻ったとき、声帯に影響が出ないか。それがすごく気になってね」と話していた。

 何より、孫の成長が生きる活力源だった。風邪をひいた丑之助が、うつしてはならないと祖父を避けるしぐさを見せると「和史(本名)の風邪ならうつってもいいよ」と返した。最後の取材は“コロナ元年”の昨年8月。ステイホーム中の孫に会えないつらさを「子供の絵を描いて紛らわせてます」といい、「歌舞伎界の存続の危機だが孫が安心して舞台に立つために踏ん張る」と言い聞かせていた。

 おちゃめな一面がほほ笑ましかった。「癒やされるんだ」とディズニーのくまのプーさんを愛し、アニメ「トムとジェリー」を見てリフレッシュすると聞いた。なぜ“トムジェリ”? と思ったが展開のスピード感にあるのではないか。「何事も不器用なので」と慎重派の印象を与えてきたが、意外にも車は相当なスピード運転だった。

 石橋を叩く慎重さと破滅的な危うさ。対照的な感情の交錯が芸に昇華され、本人すら気づかないところで2代目を支えていたのではなかったか。実父(初代白鸚)も養父(初代吉右衛門)も、歌舞伎に捧(ささ)げた息子の生涯を、あの世で認めていることだろう。(内野 小百美)

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