中村吉右衛門さん、闘病中に歌舞伎の音声を流すも一度も意識が戻らず力尽きる

スポーツ報知
文化功労者に選ばれた会見で笑顔を見せた中村吉右衛門さん(2017年10月)

 歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが11月28日午後6時43分、心不全のため都内の病院で死去していたことが1日、明らかになった。77歳だった。「熊谷陣屋」の熊谷直実、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助など多くの当たり役を持ち、歌舞伎界を代表する立役(男役)だったほか、時代劇ドラマ「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵役でも知られた。3月28日に急性の心臓発作で倒れ療養していたが、復帰はかなわなかった。葬儀、告別式は親族葬にて執り行う。

 8か月間、闘病を続けていた吉右衛門さんが、ついに力尽きた。3月末に心臓発作で倒れ、心肺停止に近い状態で病院に搬送。その後、しばらくして別の病院に転院していた。見舞いに訪れた家族が呼び掛けたり、歌舞伎の音声を流すなどして奇跡が起きることを信じたが、一度も意識は戻らず。死去後に兄の松本白鸚(79)、おいの松本幸四郎(48)、尾上菊五郎(79)らが悲しみの対面を果たした。密葬の形でこの日通夜を終え、2日に葬儀が営まれる予定だ。

 4歳で初舞台を踏んでから73年。吉右衛門の2代目を継ぐことを宿命づけられ、歌舞伎に生涯をささげた。8代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男として生まれ、母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子に。48年、中村萬之助を名乗り、初舞台を踏んだ。地道に実力を付け、66年に2代目吉右衛門を襲名。2011年には人間国宝、17年には文化功労者となった。

 初代吉右衛門の顕彰を目的に初代の俳名を冠した「秀山祭」を06年から始めた。「秀山祭のことを考えない日は一日たりともない」と話すほど毎秋の公演を大事にし、生きがいとした。いくつもの大役での当たり役を持つが、「80歳で『勧進帳』の弁慶を」と語っていた夢は実現できなかった。

 この日、吉右衛門さんの訃報(ふほう)が広まったのは午後4時ごろ。東京・歌舞伎座内にも衝撃が走った。13年に吉右衛門さんの四女・瓔子と結婚し、義理の息子となった尾上菊之助(44)には早い段階で訃報は入っていたはずだが、悲しみをこらえ気丈に舞台に立つことに集中。37年の空白を経て再会するおしどり夫婦を描いた第2部「ぢいさんばあさん」で涙を誘った。出演後は無言で会場を後にした。2日の舞台出演後に取材対応する。

 吉右衛門さんは7、8年前から味覚障害に悩まされ、内臓疾患で手術を受けるなど、満身創痍(そうい)で舞台に立っていた。19年には高熱などの体調不良で歌舞伎座での公演を一時休演。今年1月にも体調不良で公演を少し休んでいた。

 5月には歌舞伎座「七月大歌舞伎」の公演チラシに第2部「御存鈴ケ森(ごぞんじすずがもり)」の幡随院長兵衛役で吉右衛門さんの名前が掲載されたこともあった。復帰が期待されたが、6月に休演が正式発表された際、松竹は「経過観察及び医師による診察などを総合的に協議した結果、当面の間、療養に専念する必要があるとの判断にいたりました」と説明していた。

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