北澤豪と100万人の仲間たち<23>初のワールドカップ出場を賭けたジョホールバルでの決戦前、中田英寿が発した驚きの言葉

スポーツ報知
ワールドカップフランス大会アジア地区第3代表決定戦に先発出場した北澤豪(1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバル)

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(52)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 ワールドカップ本大会出場を目指す日本代表は、アジアの壁を一度も突破することができずにいた。

 1997年11月16日までは。

 1998年フランス大会アジア地区の出場枠は、前回大会より1・5枠増の3・5枠となった。最終予選A組1位サウジアラビア代表と、B組1位韓国代表がすでに出場権を獲得。同予選の終盤でB組2位に滑りこんだ日本代表は、A組2位のイラン代表とアジア地区第3代表決定戦を争うことになった。勝者がアジア3位となって出場権を獲得し、敗者はアジア4位としてオセアニア地区予選1位との大陸間プレーオフにまわる。

 最終予選途中の劣勢で緊急招集され、その後、全試合に先発出場して日本代表をB組2位に浮上させた北澤豪。この第3代表決定戦でも先発起用が濃厚だった。

 「相手がイラン代表に決まって、第3代表決定戦の一発勝負は難しい試合になると思いました。最終予選でB組2位を争ったUAE代表よりもサッカーのレベルが数段上でしたし、20年ぶりとなる本大会出場への意欲がとても強いと感じました」

 当時のイラン代表は、アジアカップで優勝3回(日本代表は1回)、アジア大会で優勝2回(日本代表は決勝進出なし)、ワールドカップ本大会にも1978年のアルゼンチン大会で初出場を果たしていた。1990年からの対戦成績も1勝2敗と、日本代表からすると格上の相手と言えた。

 しかし、今回は有利な面もあった。中立地での一発勝負の会場は、当初中東のバーレーンに決まりかけていた。日本サッカー協会がそれに反発したことで、中東勢同士ならバーレーン、中東勢対東アジア勢ならマレーシアでの開催に決定した。ここに日本サッカー協会の政治力増強が垣間見えると北澤は語る。

 「4年前の最終予選はカタールのドーハでの集中開催でした。移動も、酷暑も、それに雰囲気も含めて日本代表にとって不利であることをいくら主張しても覆せなかったんです。ところが今回は、バーレーンからマレーシアに覆すことができた。Jリーグが開幕し、日本代表が強化され、サポーターが増加し、日本のスポンサーがアジアや世界にまで進出していきました。発言権が高まるのも当然で、そういう意味では選手が強化されただけでなく、日本サッカー界全体の成長があったと思います。マレーシアのジョホールバルで戦えることはとても大きかったです」

 日本代表のマレーシアまでの移動時間は7時間で、時差は1時間。対するイラン代表は36時間もの移動時間を要し、時差も4時間。試合2日前の現地練習では、コーランを大音量で流したり、日本代表選手の真横をランニングする挑発行為をしたりとイラン代表が陽動作戦に出た。さらには前年のアジアカップ最優秀選手コダダド・アジジが試合前日に車椅子で現れた(試合では先発出場)。これ以降、出場選手発表前の情報戦のことを「アジジ作戦」と日本では呼ばれるようになった。

 「アジジ作戦は、僕ら日本代表選手はバスの中から車椅子姿を見て笑っちゃいました。ただ僕は、ばかばかしいとは思いつつも、そこまで必死なんだと相手の意気込みを感じましたね」

 気を引き締め直したのはそればかりではない。4年前の「ドーハの悲劇」が忘れられず、この場にはもういない、過去に日の丸を背負った選手たちの思いを継承していたからでもあったという。

 「ラモス(瑠偉)さん、テツ(柱谷哲二)さん、都並(敏史)さん……。教わったことがたくさんあって、今度は僕がそれを若手に伝える番なんだという思いで、最終予選からやってきました。みんなの誇り、みんなの悔しさを、僕が引き継いでいるから、間違いなくみんな、ここに生きているし、今度こそ絶対に勝つんだと、強く思っていました」

 試合前日の練習、勝つんだと強く思えば思うほどに、責任感、緊張感、切迫感が押し寄せてきた。そんなとき、選手たちで集まってこの一戦の重要性を話している中で、たった一人だけ異を唱える者がいた。

 「このジョホールバルがどれだけ大切な舞台なのかをみんなで確認していたら、ヒデ(中田英寿)が突然言ったんです。『なんでそんなに意気込んでいるんですか。別に日本だろうが、ヨーロッパだろうが、どこだろうが、変わんないじゃないですか』と。そう言われたとき、なんてことを言いだすんだ、このバカヤロウは! そう思いました。僕と一対一での発言ならまだしも、みんなの前だったから士気の低下を心配して慌てたんです。でも、続きを聞いていくと、なるほど、と。『場所なんてどこだろうが、やることはサッカーでしょ。それに、たぶんここへも日本のサポーターがたくさん来て、日本と同じような雰囲気を作ってくれますよ。だから、そんなに意気込まなくてもいいと思いますよ』と。そんな言葉を聞いているうちに、そうだよな、たしかに、やることはサッカーなんだよなと、それまでは鼻息荒かったのに、すっと力が抜けました」

 Jリーグ開幕やドーハの悲劇後の1995年にプロデビューした中田英寿。U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)、ワールドユース(現U-20ワールドカップ)、U-23オリンピックと、各年代でアジアの壁を突破して世界の舞台に立ってきた。上記ナショナルチーム主要世界大会すべてでゴールもしてきた彼の言葉には、ドーハ世代にはない余裕が感じられたという。

 「アンダーカテゴリーで実績を積んできただけあって、こんな第3代表決定戦なんて、世界へ飛びだす本番前の予選の段階じゃないかという感覚があったんでしょうね。ヒデはクソ生意気でもあったけど、狭まってしまっていた僕らの視野を広げてくれる存在でもあったと思うんです。そして実際に試合では、ヒデのその視野の広さこそが、あの決定的なプレーにつながったわけですから」

 1954年のワールドカップスイス大会の予選に初めて参加してから、実に43年。新たな世代が加わった日本代表の、歴史的一戦が始まった。(敬称略)=続く=

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

 〇…11月21日に「ドナルド・マクドナルド・ハウス支援ラン&ウォーク」がオンラインで開催され、大会アンバサダーの北澤氏もYOU TUBEライブでの楽しいトークなどで盛り上げた。この日はマクドナルドが年1回実施している「マックハッピーデー」で、ハッピーセットの売上の一部は、全国各地で入院・通院する子どもとその家族のための滞在施設を運営している公益財団「ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパン」に寄付される。北澤氏は同日、新潟・聖籠町で行われた「2021フジパンCUP第20回U-12 北信越大会」のテレビ解説も務め、休憩時間には会場近くのマクドナルドへ出向いてハッピーセットを購入していた。

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