メジャーでは記者に嫌われ1ポイント差で逃したケースも MVP投票から

スポーツ報知
大谷翔平(ロイター)と2001年のイチロー

 メジャーで現在のMVPに値する賞には1910年代のチャルマーズ賞(高級自動車メーカー)や1920年代のリーグ賞があったが、後者は2度の受賞はまかり成らぬなどの制約もあるなど長続きしなかった。現在のシステムになったのは1931年以降だ。

 そのため、全盛期を過ぎたB・ルースはリーグ賞こそ受賞したが、1931年以降のMVPは1度も無い。過去、同ポイントでダブル受賞になったのは1979年1度。首位打者となったK・ヘルナンデス(カージナルス)と優勝に貢献したウィリー・スタージェル(パイレーツ)だけ。2001年、日本人初の受賞となったイチロー(マリナーズ)は2位ジェイソン・ジアンビ(アスレチックス)と8ポイントの接戦だったが、1ポイント差というケースも2例ある。

 太平洋戦争で選手の大半が戦地に赴いていた1944年、優勝に導いたとして名遊撃手マーティ・マリオンが選出されたが打率は、選出された選手最低の2割6分7厘(これを今季の大谷が更新する?)、本塁打と打点の二冠王になったビル・ニコルソン(カブス)を退けた。マリオンの守備がいかに優れていたかは、通算3731勝と53年もの長い間アスレチックスなどの監督を務めたコニー・マックの「彼は今まで見た中で最高。(名遊撃手)ホーナス・ワグナーは良い打者でしたが、マリオンのように多くのゴロはさばけなかった」の言葉でもうかがえる。最近ならパドレス、カージナルスなどでプレーした名手オジー・スミスがMVPになるような感じだった。

 もう一例は1947年のア・リーグ。テッド・ウィリアムズ(Rソックス)が2度目の三冠王に輝いたが、シーズン中に諍いのあった地元記者が彼の名前を10位までに書き込まなかったことで優勝したヤンキースのジョー・ディマジオに1ポイント差で逃したのだった。同じように記者の評判が悪く逃した例には1995年アルバート・ベル(インディアンス)。50本塁打含め二冠王となり、チームの地区優勝に貢献しながら8ポイント差で品行方正だったモー・ボーン(Rソックス)に敗れた事もある。

 1943年からア・リーグでは3年連続受賞するなど当初は投手の選出も少なくなかったが、1956年に最優秀投手賞としてサイ・ヤング賞が制定されてからは一気に少なくなった。そのため、59イニング連続無失点を含め23勝しドジャースの優勝の立役者となりながら1988年のオーレル・ハーシュハイザーのようにサイ・ヤング賞満票、MVP投票6位というケースも複数出てきている。

 1957年までの37年間で74人中38人まで優勝チームから出ており、最高殊勲の意味合いが強かったが、1958、59年カブスのアーニー・バンクス遊撃手が負け越しチームから初めて選出された。その後負け越しチーム選手はなかったが、1987年カブスのアンドレ・ドーソン外野手が地区最下位で選出されて以降は、計5人数えられるようになり、最優秀選手としての選出が増えた。

 その意味でも、今年チームは負け越したものの大谷翔平が選出されるのは自明の理である。 

 蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)

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