高難度の4回転を武器に北京五輪を目指す佐藤駿(17)=フジ・コーポレーション=が16日までに、スポーツ報知のオンラインインタビューに応じた。19年ジュニアGPファイナルで、小塚崇彦、羽生結弦、宇野昌磨に続く日本男子4人目の王者となった実力者。羽生に憧れ「五輪を目指す」と決意した17歳はシニア2年目の成長を自信に、夢舞台への切符をたぐり寄せる。(取材・構成=高木 恵、小林 玲花)
五輪が目標に変わった瞬間を、佐藤は鮮明に覚えている。2014年ソチ大会。食い入るようにテレビ画面に見入った。同じ仙台出身の羽生が、日本男子初の金メダリストになった。当時10歳だった佐藤の心は突き動かされた。
「あの演技を見たから、『僕も五輪を目指そう』と思いました。ずっと憧れで『羽生選手みたいになれるように頑張りたい』と思っています。練習の姿勢だったりをマネしていきたい。集中力を切らさずに、あそこまでまとめた練習をすることは自分にはまだ無理。練習をもっと集中してできるようになりたいです」
19年ジュニアGPファイナルで4回転ルッツを決め、世界一になった。今季フリーの4回転はルッツ、トウループに加え、新たにフリップも組み込む。背中を押してくれたのは羽生だった。「ルッツが跳べるんだからフリップも跳べるよ」。幼稚園時代に贈られたペンダントは宝物。尊敬するスケーターの言葉を胸に、4回転3種4本の高難度構成で五輪シーズンを戦う。
「ルッツの方が難しいので、フリップは跳べるかなという自信はありました。5月に初めて練習で跳んでみた時に、かなり感触が良くて。昔からジャンプが好きですごく練習していましたし、ジャンプは僕にとっての武器です」
10月のGPスケートアメリカでは、練習で左肩を負傷しながら出場を決断。武器のルッツにこだわった。フリーでルッツを含む4本の4回転に挑み4位に入った。
「棄権も考えたんですけど、やってきたことを全て無駄にするわけにはいかないので頑張ってみようと思いました。(日下匡力)コーチは『駿のことは駿にしか分からない。駿に任せる』と言ってくれたので、ショートプログラムをまずやり切りたいと返しました。トップスケーターと一緒に滑らせていただいて、得るものがたくさんあった試合でした」
小学1年の時、東日本大震災で被災した。3か月もの間、スケートができなかった。母と一緒に東京へ引っ越し、現在ヘッドコーチとして師事する浅野敬子氏の計らいで埼玉・川越市を拠点にスケートを再開。日下コーチとも運命の出会いを果たした。
「ジャンプも跳べてきた大事な時期だったので、すごく心配になり、早く滑りたい気持ちが一番でした。あの時、埼玉に来て、先生方との出会いがあったから、ここまで来ることができたと思っています。とても信頼しています」
シニア2年目。体力強化が実り、ジャンプの安定感と表現力が増した。来年の北京五輪を狙える位置にいるが、一戦一戦を全力で戦うことに集中している。
「今はまだ五輪を意識するというより、一つ一つの試合をしっかりとこなすことが大事だと思っています。『五輪!』というよりも、目の前の試合を頑張りたいという思いが強いです」
19日に開幕するGPフランス杯は、同級生の鍵山優真と出場する。
「どこかでは(鍵山に)勝ちたいなという気持ちが強いです。ノーミスをして、上位にいけるよう頑張りたいです」
憧れの羽生の背中を追い、ジュニア時代からのライバルと切磋琢磨(せっさたくま)し、世界の舞台でさらなる高みを目指していく。
◆佐藤 駿(さとう・しゅん)2004年2月6日、宮城・仙台市生まれ。17歳。埼玉栄高。5歳で競技を始める。13~16年全日本ノービス4連覇。18、19年全日本ジュニア2位。19年ジュニアGPファイナルで、フリー177・86点、合計255・11点のジュニア世界最高記録で優勝。家族は両親、トイプードルの「ちわわん」、オカメインコの「ぴの」など。