【1995年〈1〉】接戦続きも、2年連続首位打者のイチロー封じでヤクルト3連勝

スポーツ報知
1995年、全試合ナイターとなった日本シリーズ。第4戦。延長12回、オリックスの勝利が決まるとレフトスタンドのファンは狂喜乱舞だった。

 2021年の日本シリーズは、ともに昨季最下位同士のヤクルト対オリックスという顔合わせとなった。オリックス前身・阪急時代の1978年が4勝3敗、1995年が4勝1敗でともにヤクルトが勝っているが、試合の分岐点になるビッグプレーが随所にあった戦いでもあった。当時、記録記者として試合をつぶさに見続けた蛭間記者が、4回に分けてシリーズを振り返る。今回は第3回。

 1995年1月に阪神淡路大震災が起こり「がんばろうKOBE」を合言葉に戦ったオリックスが阪急時代の1984年以来11年ぶりにパ・リーグを制覇。それをけん引したのは1994年の210安打、1995年の首位打者、打点王に盗塁王にもなったイチローだった。一方のヤクルトは直近4年間で3度目のセ・リーグ制覇。野村克也ID野球が浸透して勝ち上がってきた。また、前年ウイークデーでのナイトゲーム高視聴率に、この年から全試合ナイターとなって、締め切り時間に追われる新聞記者の頭を抱えさせた。

 第1戦は一度は追いつかれたヤクルトが5回に池山隆寛の勝ち越し2点タイムリーが飛び出すと、1点差となった8回にも大野雄次の代打2ランで突き放した。「マークするのはあいつ(イチロー)しかいない」とシリーズ前から語っていた野村監督だったが、ヒッティングゾーンの広いイチローに対して、ヤクルトバッテリーは「いかにボール球を振らせるか」だった。150キロ近い右腕ブロスはボールを散らして右飛、三振、中飛、8回に中前のテキサス安打を許しただけだった。ただし、守備では2回に強肩で本塁を狙った真中満を刺し、6回には二塁走者が三塁を回って急ブレーキをかけてストップするシーンがあるなど見せ場を作った。

 第2戦はイチローの22歳の誕生日だったが、左腕石井一久の厳しい内角攻めに死球。その後も捕邪飛、四球、三振、中飛。脚力を活かすゴロも打てなかった。試合は2点をリードされたヤクルトが8回同点打を放ったオマリーが延長11回には左翼席に決勝アーチ。シリーズ前にオリックスの仰木彬監督がシーズン31本塁打を放ってMVPに輝く事になるオマリーを「(狭い)神宮だからあれだけ打てただろう(広い)。神戸じゃ無理だろ」と言い放ったのを忘れていなかった。もう一つの勝因は5番手の山部太の快投だ。同点に追いついた8回から登板。いきなり先頭打者に三塁打を浴びたが、犠牲フライも許さず4イニングを1安打無失点に抑え込んだ。

 神宮に舞台を移した第3戦はオリックスが7回に3点を挙げて4―2と逆転。ヤクルトは8回2死満塁から古田敦也が遊ゴロ。二塁送球もセーフの判定(オリックスの激しい抗議も認めらず)で1点差にすると、9回先頭のミューレンが同点アーチ。延長10回1死二、三塁から第1戦のヒーロー、池山が左翼席にサヨナラ3ラン。池山は喜びの涙で顔をくしゃくしゃにしてダイヤモンドを一周した。

 第2戦に続いてシーズン42セーブポイントをマークしていた平井正史を攻略した野村監督は「ウチはシーズン中に佐々木(主浩=横浜)らに鍛えられているからな」と自信が漂っていた。

 オリックスはイチローを1番から3番にして立ち向かったが、三振、中前安打、右犠飛、敬遠四球、遊邪飛。右犠飛で初打点をあげたもののこの打球は、右翼・橋上秀樹にジャンプ一番、もぎとられたものでツキにも恵まれなかった。

 3試合で2度目の延長戦。しかし、延長戦はこれだけでは終わらなかった。

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