ヤクルト対オリックスのシリーズ激闘史〈1〉【1978年】神宮開催を熱望もパ側に蹴られる

スポーツ報知
1978年日本シリーズ・ヤクルト・阪急・第4戦。9回2死一塁、ヤクルト・ヒルトンが阪急・今井から左越え逆転2ランを放つ

 2021年の日本シリーズは、ともに昨季最下位同士のヤクルト対オリックスという顔合わせとなった。オリックス前身・阪急時代の1978年が4勝3敗、1995年が4勝1敗でともにヤクルトが勝っているが、試合の分岐点になるビッグプレーが随所にあった戦いでもあった。当時、記録記者として試合をつぶさに見続けた蛭間記者が、4回に分けてシリーズを振り返る。

 今年の日本シリーズ、ヤクルトは本拠地・神宮が、高校、大学の神宮大会開催のため第3戦から第5戦を東京ドームで開催することになったが、1978年のシリーズも神宮が使えなかった。当時はすべてデーゲーム。第1戦、第2戦、第6戦、第7戦は週末で東京六大学野球と日程が重なったために、後楽園球場で開催することになった。ヤクルト側は日程を第3戦~第5戦にすることや、六大学の後のナイター開催を求めたがパ・リーグ側に一蹴された経緯があった。

 下馬評は3年連続シリーズを制覇していた阪急だったが、蓋を開けると第1戦が阪急、第2戦がヤクルトと、ともに逆転する乱打戦でスタート。第3戦はシリーズ男の一人、阪急・足立光宏が3安打完封して2勝1敗とした。

 第4戦も阪急は序盤から得点を重ねて5回を終わって5―0。王手間違いないと思われたが6回、ヤクルトが反撃。この年までゴールデングラブ賞制定後7年連続受賞の名手・大橋穰が併殺を焦った失策から無死満塁のチャンスをつかみ、適時打2本に内野ゴロ2本で4点を返し1点差に迫った。阪急の先発・今井雄太郎はその後立ち直って迎えた9回。盗塁阻止などで2死無走者になったが、代打の伊勢孝夫に遊撃内野安打。ここで迎えたのが、この年ヤクルト入りして切り込み隊長として初回先頭打者アーチを当時の新記録となる8本打っていたヒルトン。阪急は公式戦13勝4敗14セーブで最優秀救援投手賞となった山口高志が腰痛でベンチから外れ、ブルペンでは第1戦完投勝利で第5戦の先発要員・山田久志を用意。上田利治監督も交代させるつもりでマウンドに駈け寄り一度はボールを取り上げたが、今井の「(まだ)いけます」の声に「何とか今井を男にしてやりたい」との親心で続投を決めた。

 ボール1からの2球目のカーブがやや甘く入ってきたところをヒルトンが強振すると、打球は左翼ラッキーゾーンに吸い込まれた。全員がベンチを飛び出し打球を見守っていたナインの「やった、やった」の中、ヒルトンがダイヤモンドを一周。ヤクルトは山田と同じように第5戦の先発候補だった松岡弘を9回に投入して逃げ切って、流れは一気にヤクルトに傾いていった。

 第5戦は勢いのついたヤクルトが大杉勝男の5打点などで打ち勝って王手。舞台は再び後楽園に戻ったが、そこでシリーズ史上に残る“事件”が起きることになる。

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