今年の日本シリーズはともにリーグ優勝チームのヤクルトとオリックスの対戦に決まった。ヤクルトとオリックスは、オリックス前身の阪急時代を含めて2度対戦し、ともにヤクルトが勝利している。さらにオリックスと合併した近鉄もヤクルトと1度対戦したが、これもヤクルトが勝利している。
ヤクルトの高津監督とオリックスの中嶋監督は、1995年の日本シリーズで対戦している。
◆1978年 ヤクルト4―3阪急
第7戦の「大杉のホームラン」が記憶されるシリーズ。山田久志や福本豊らを擁し日本シリーズV4を狙う阪急が、シリーズ初出場のヤクルトと対戦。ヤクルトの本拠地は神宮球場ではなく後楽園球場が使用された。
第7戦に問題のシーンが起きた。報知新聞は次のように伝えている。
「6回裏1死、大杉の放った打球は左翼ポール際へと飛び、わずかに左へそれてジャンボスタンドに落ちたように見えた。富沢左翼外審は右手をぐるぐるまわし、ホームランのジェスチャー。それを不満とした上田監督が左翼まで出かけていって『ポールの左側を通過した』と抗議。これに対し富沢審判は『打球を見上げていた。ポールの上を通過した』と説明し、全審判が集まって押し問答が続いた。(中略)この間、興奮したファンが外野スタンドから飛び降り、三塁側ベンチ裏で阪急の応援団とファンがつかみ合いのけんかを始めるなどして騒ぎは大きくなった。この事態に金子コミッショナー、工藤パ・リーグ会長が上田監督を必死に説得し、オーナー代理、球団代表も『なんとかゲームを始めるように』と伝えて上田監督はやっと納得した」
ファンの声として「ボールはワリコー(ポールにある広告)のコの字くらいのところを通過したが、30センチほど切れていた。審判の手が回ったので、びっくりした」との目撃談も掲載されている。
1時間19分の中断。阪急は先発の足立からルーキーの松本にスイッチし、マニエルに突き放されるソロを浴びた。そして8回。山田が大杉に完璧な左越え4号を打たれ、万事休すとなった。
ヤクルトは球団創立29年目の初出場で日本一。巨人のV9以降、パ・リーグに奪われていた覇権をセが奪回することとなった。
◆1995年 ヤクルト4―1オリックス
野村ID野球VSイチローのシリーズだ。シリーズ開幕前からヤクルト・野村監督がイチローの打撃ルーティーンを指摘するなど心理戦を仕掛け、新たに導入されたITツールも活用して完勝した。
イチローは前年にシーズン210安打の新記録を樹立、そしてこの年は「がんばろう神戸」の合言葉のもとで優勝したチームをけん引した。だがヤクルトの攻めにイチローは調子が上がらず第4戦を終えて16打数3安打。第5戦の初回に1号ソロを放つなどこの試合3打数2安打だったが、調子が上がらないまま終戦となった。
なお、この対戦でヤクルトは、新興の野球データ分析会社が開発したソフトを活用。相手の配給を徹底分析しオリックス打線を完全に封じた。プロ野球界のデータ解析に新潮流が生まれるきっかけにもなった。
◆2001年 ヤクルト4―1近鉄
ヤクルト・若松監督の「本当にファンの皆さん、日本一おめでとうございます!」のインタビューが神宮の夜空に響いた。体操選手顔負けの見事な空中一回転。瞬間、若松監督が消えた。歓喜の胴上げで起こった史上初のハプニング。「大丈夫ですか」。選手の声は耳に届かない。歓喜の輪の中で、指揮官は脱げてしまった帽子を必死になって探していた。「完ぺきに引っくり返った。はげているのが分かっちゃうのが嫌だから、かぶり直したよ」。そして始まった仕切り直しの胴上げ。古田に足を支えられて1回、2回…。リーグ優勝では実現しなかった本拠地で9度、舞った。
相手の近鉄は逆転サヨナラ優勝決定満塁ホームランでパ・リーグを制し、球団初の日本一を目指していた。
しかし「いてまえ打線」を封じての優勝。シリーズ前にはヤクルト劣勢を予想する声もあった。「勝ち負けは分からなかったけど、スコアラーのデータを基に、しっかり準備ができたからね。(投手陣も)みんな持ち味を発揮してくれた」ローズ、中村を徹底マークしながら、その後を打つ礒部、吉岡を完全に封じ込み、いてまえ打線を分断。古田の頭脳が、4勝1敗のシリーズ圧勝へと導いた。