箱根駅伝でダークホース以上の存在、東京国際大”無敵モード”…大学駅伝界一の「いい人」大志田秀次監督

スポーツ報知
選手らと談笑する東京国際大・大志田監督(左から2人目)

 今季の学生3大駅伝開幕戦、出雲駅伝(10月10日)で初出場初優勝を飾った東京国際大。大志田秀次監督(59)は2011年の創部からチームを率いて、10周年のメモリアルイヤーに快挙を成し遂げた。第2戦の全日本大学駅伝(7日)でも7区途中までトップに立つ見せ場をつくり、5位入賞。最終戦の箱根駅伝(来年1月2、3日)でもダークホース以上の存在として注目される。大志田監督は大学駅伝界一の「いい人」として知られ、その不思議な魅力に迫った。

 秋の出雲路。東京国際大はライバル校と駅伝ファンに衝撃を与えた。優勝候補の一角に挙げられていたが、それは最長の最終6区で最強のケニア人留学生、イェゴン・ヴィンセント(3年)による大逆転を想定したものだった。実際は3区で日本人エースの丹所健(3年)が首位に立つと、独走態勢に。ヴィンセントにトップでタスキを渡す圧勝劇で無敵の強さを見せた。

 「こんなことは想定していませんでした。あまりにも予想外のことが起きたので、もしかしたらヴィンセントが抜かれてしまうかも、と心配しましたよ」。学生3大駅伝を通じて初優勝を飾った大志田監督は柔和な表情で快挙を振り返った。

 レース後、ライバル校の監督やコーチたちが続々と大志田監督に駆け寄り、祝福した。東京国際大に屈して2位だった青学大の原晋監督(54)もそのひとりだった。「負けて悔しいけど、大志田さんを心から祝福します。チームをゼロからつくり上げる苦労を私もよく知っているので」。04年に青学大監督に就任後、試行錯誤を繰り返しながらチームを箱根駅伝に33年ぶりに復活出場、そして優勝まで導いた指揮官は実感を込めた。

 青学大が15年に箱根駅伝初優勝に輝いた後、原監督に対し、大志田監督は青学大への“短期留学”を申し入れた。「それまでも他校の選手が青学大の選手寮に宿泊して一緒に練習することはあった。でも、大志田監督は数人の選手を連れてきて、自らも選手寮に泊まって我々と練習や生活を共にした。そんな監督は先にも後にもいませんよ」と原監督は驚きを隠さなかった。

 その前年の14年。東洋大が箱根駅伝で4度目の優勝を飾った後、やはり、大志田監督は数人の選手とともに東洋大に“短期留学”した。「大志田さんは選手と一緒に寮に宿泊しました。大志田さんの熱心さには頭が下がります」と、東洋大の酒井俊幸監督(45)も明かした。

 「強いチームはどんな練習をして、どんな生活をしているのか知りたかったので、無理を言って私も泊めてもらいました」と大志田監督は感謝する。収穫は大きかった。「青学大さんも東洋大さんも、しっかりした練習と、しっかりした生活をしていた。結局、一番、重要なことは選手のやる気ということを改めて実感しました。走るのは監督ではなく、選手なので」

 東洋大、青学大への“短期留学”を経て、東京国際大が初めて箱根駅伝予選会を突破したのは15年の秋だった。

 今年の予選会では駿河台大が初めて突破を果たした。徳本一善監督(42)にとって、大志田監督は道しるべだった。「東京国際大も駿河台大も高校生の勧誘に苦戦することが多い。それでも、大志田さんはチームを強くさせた。とても励まされた。東京国際大ができるなら駿河台大もできるはずだ、と」。徳本監督は大志田監督の人柄にも心酔している。「予選会を突破した時もすぐにお祝いの電話がありました。大志田さんは20歳近くも年下の僕に対しても常に敬語で話し、本当に腰が低い。尊敬できる人です」と、しみじみと話した。

 当然、自チームの選手からの信頼は厚い。佐藤榛紀(1年)は三重・四日市工3年時に5000メートルで、東京五輪男子マラソン代表の中村匠吾(29)=富士通=が上野工(現・伊賀白鳳)時代の10年に出した三重県高校記録(13分50秒38)を10年ぶりに更新する13分50秒31をマーク。東京国際大史上、最速ルーキーとして入学したが、この春先はスランプに陥った。「全く走れなくて不安になっている時、大志田監督は寄り添って原因を丁寧に探してくれた。結局、貧血気味だったということが分かって、それから食事やサプリメントを気をつけて取るようにしたら、少しずつ改善しました」

 夏以降、佐藤は練習を積めるようになり、本来の実力を発揮。出雲駅伝で2区を走り、歴史的な初Vメンバーに名を連ねた。全日本大学駅伝でも1区10位の及第点の走りでチームの5位入賞に貢献した。高校時代、多くの大学から勧誘を受けたが、その中から東京国際大を選んだ理由について「高校1年の時、大志田監督が一番最初に声をかけてくれたからです」と感謝した。

 一癖も二癖もある監督が多くいる大学駅伝界で、大志田監督は「敵がいない」と言われるほど温厚。その大志田監督が率いる東京国際大が、出雲路に続いて箱根路でも“無敵ぶり”を発揮できるか。

(竹内 達朗)

 ◆大志田 秀次(おおしだ・しゅうじ)1962年5月27日、岩手・盛岡市生まれ。59歳。81年、盛岡工から中大に入学。箱根駅伝は3年1区11位、4年8区1位。85年に卒業し、ホンダに入社。86年アジア大会1500メートルで金メダルを獲得した。89年に現役引退。91~2001年にホンダコーチ。94~99年は中大コーチを兼任し、96年の箱根駅伝優勝に貢献した。11年、東京国際大監督に就任。

 ◆東京国際大 1965年、国際商科大として創立。86年から現校名。2008年に野球部の監督に元広島の古葉竹識氏を招くなど複数の運動部を強化。駅伝部は11年に中大OBの横溝三郎総監督、大志田秀次監督の指導体制で創部。箱根駅伝は16年に初出場。20年にチーム最高成績の5位で初のシード権。今年の出雲駅伝で3大駅伝通じて初優勝。全日本大学駅伝の最高成績は初出場した19年の4位。タスキの色は紺青。長距離部員は選手63人、学生スタッフ14人。大学の主なOBは作家の横山秀夫氏。駅伝部の拠点は埼玉・坂戸市。

 ◆取材後記

 1986年、韓国・ソウルで開催されたアジア大会1500メートルで24歳だった大志田監督は金メダルを獲得した。当時、高校2年の陸上部員だった私は視聴覚室のテレビの前で応援していた。「速い! 強い! 勝った!」と数人の友人たちと一緒に喜んだことをよく覚えている。

 その後、記者となり、当時の思い出を伝えると、大志田監督は「応援してくれてありがとう」と頭を下げた。こちらは恐縮するばかりだった。

 大学駅伝界を広く取材しているが、大志田監督の悪口を聞いたことがない。そして、よく思い返せば大志田監督が悪口を言っていることも聞いたことがない。

 「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」。大志田監督を取材していると、いつも、この言葉を思い出す。(竹内 達朗)

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