北澤豪と100万人の仲間たち<22>ドーハの悲劇から4年後の日韓戦で気づいた結果ばかりにとらわれない「遊び心」の大切さ

スポーツ報知
ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選、アウェーでの日韓戦で先制ゴールをあげた名波浩と、後方が北澤豪(1997年11月1日、ソウル)

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(52)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 やりなおしのチャンスが巡ってきた。

 くしくも、4年前のドーハと状況は同じだった。日本代表が予選不通過の危機にあるのも。予選終盤にして北澤豪の存在が求められるのも。そして、彼にとっての予選出場2試合目、負けられない大一番の対戦相手が、韓国代表なのも。

 1997年11月1日のワールドカップフランス大会アジア地区最終予選第7戦、アウェーでの韓国代表戦。負ければ本大会出場が絶望的になる崖っぷちで、4年前同様に彼は発奮していた。

 「もっとアグレッシブにやったほうがいいと、年下の選手たちに話しました。左サイドバックの相馬(直樹)はかなりナーバスになっていました。『そんなタイミングでオーバーラップしたら後ろを突かれちゃいます』と。でもリスクを承知で自分たちからアクションを起こさなければならない状況だろと。勝たなければ後がないんだからやってみるしかないじゃないかと」

 積極性と同時に、彼が最終予選の途中で招集されてからこのチームに決定的に欠けているように思えたものについても伝えてみた。

 「同じ中盤の名波(浩)と話したのは、もっと遊び心を持とうよと。若い選手たちが日本を背負わされて、勝てずに申し訳ありません、みたいな悲壮感が漂っていました。しかも前戦(UAE代表戦)では引き分けてしまって暴動が起きて、日本のサポーターまで敵にまわってしまった。翌日、僕にも電話がかかってきて、『なんだ、昨日のプレーは!』って怒鳴られて、とうとう友だちまで敵かよと。そんな追い詰められた精神状態で戦っていると、勝たなければという結果ばかりにとらわれてしまって、そもそもサッカーはゲームなんだという本質を忘れてしまいがちなんです。戦争みたいな極度の緊張感の中にいるんですけど、遊び心を忘れてしまったらいいプレーなんてできない。だからあえて練習中から、もっと楽しもうぜと。フリーキックでカズさん(三浦知良)が球をすぐ近くに浮かせ、それを名波がループで壁を越える。壁に隠れている僕がゴール前に走り込んでボレーシュートをする。そんな遊びのようなプレーも練習しました。『ポヨン』と名付けてね。いかにも楽しげなネーミングでしょ」

 若手を鼓舞し、同時に余裕も持たせつつ韓国代表戦に臨もうとした。ところが、ソウル入りした当日から自身は原因不明の体調不良に見舞われた。悪寒と下痢と吐き気で食事が喉(のど)を通らなかった。岡田武史監督にその旨は報告せず、チーム帯同ドクターに点滴を頼んで試合当日を迎えた。前夜は一睡もできず、さすがにそのまま先発出場するのが不安になり、東京でテレビ中継を待っているだろう母の正子にふと電話をかけてみた。

 「すると母は明るく、『ご飯を食べなくても、寝なくても、一試合くらい大丈夫よ。これまでずっとやってきた経験があるんだから』と言ってくれたんです。不思議なもので、母からそう言われると、そうかな、大丈夫かもしれないなと、体調不良なんてどうってことないかのようにと思えてきました」

 蚕室(チャムシル)オリンピックスタジアムは8万人もの大観衆で膨れあがった。日本代表は今最終予選第3戦のホームでの日韓戦でも逆転負けを喫しており、過去59戦して10勝しかできていなかった。第3代表決定戦出場すら危ぶまれている日本代表をホームで迎え撃つにあたって韓国代表は、手を抜くことなく出場停止の洪明甫(ホンミョンボ)以外はレギュラーメンバーを並べてきた。そんな宿敵を警戒してか、試合前の岡田監督の指示は「開始15分間はあまり上がるな」というものだった。

 「だけど僕は、韓国代表に対する恐怖心みたいなものはもう薄れていました。代表入りした直後の日韓戦(第15回日韓定期戦)では、こんな強い相手にいったいどうやったら勝てるのかと思っていましたけど、でもそこから僕らも急成長して、僕が出た日韓戦は互角以上に戦えていました(3勝1敗1分)。だから、開始直後から果敢に行く気持ちでした」

 キックオフ直後の前半1分、いきなりゴールが生まれた。開始すぐに珍しくドリブル突破を見せた名波の積極的なプレーに反応し、北澤が下がってカバーした。すると相手選手が引っ張られてできたスペースに、名波がまっしぐらに走り込んできた。そして敵陣左サイドを勇気を持ってオーバーラップしてきた相馬のセンタリングにフリーで合わせたのは、ゴール前まで攻め上がっていた名波だった。ゴールネットが揺れ、歓ぶ名波のもとへと真っ先に走って北澤は抱きついた。

 「あのゴールはずごく嬉しかったです。なぜならあれは、僕ら選手たちで考えた可変の動きから生まれたゴールだから」

 岡田監督から中盤への戦術的な指示は多くはなかった。加茂前監督のゾーンプレスを踏襲し、全体練習ではボール保持者への激しい追い込みと、奪取後の速攻が課されていた。

 「だけどそれだけでは、自分たちから仕掛けるアグレッシブさが足りないように僕には感じられていたんです。それと、中盤の動きが型にはまってしまっているから、相手が嫌がるような動きをもっとしたほうがいいんじゃないかと。左の名波や右のヒデ(中田英寿)と話して、おまえたちのタイミングでもっと前戦へ飛び出してきていい、そのときは俺が下がってスペースを作るからと。岡田さんの指示ではなかったですけど、岡田さんが新たに僕を呼んで先発起用したということは、僕がやりたいようにやってもいいものと勝手に解釈してね」

 さらに日本代表は躍動し、前半16分には奇妙なトリックプレーも飛びだした。敵陣25メートル地点で北澤が激しいバックチャージで倒されて得たフリーキック。カズが球をすぐ近くに浮かせ、それを名波がループで壁を越える。壁に隠れていた北澤がゴール前に走り込んでボレーシュート。遊び心ある「ポヨン」に、大観衆がどっと沸いた。

 「前戦のUAE代表戦では余裕がなくてできなかった『ポヨン』が、ものの見事にはまったんです。だけどこんなにきれいにはまっちゃうことがあるのかと、僕が笑っちゃって最後のボレーシュートを外してしまったんです(笑)。あれは決めなきゃいけなかった」

 その後、37分には呂比須ワグナーの得点も生まれて2対0。日本代表にとって約2か月、6試合ぶりとなる勝利だった。

 「アウェーの日韓戦で完封勝ちできたことで、もうこれで長いトンネルは完全に脱したなと。次のホームでのカザフスタン代表戦は、精神的にみんなに余裕が生まれていました。それにこの試合ではドーハの悔しさを知っている2人が代表復帰してくれたこともすごく大きかったんです」

 最終予選の最終戦となるカザフスタン代表戦、カズとロペスの出場停止に伴い、4年前の最終予選の経験者である中山雅史と高木琢也が新たに招集された。その2人のゴールなどで5対1と快勝し、最終的に日本代表はUAE代表を勝ち点4差上回り、韓国代表に次ぐB組2位となった。ワールドカップ本大会出場という北澤の4年越しの夢は、A組で1位のサウジアラビア代表に惜敗していた2位のイラン代表とのアジア第3代表決定戦へと持ちこされた。

 決戦はホーム・アンド・アウェー方式で2試合開催することは日程的に困難で、中立地マレーシアのジョホールバルで開催されることとなった。(敬称略)=続く=

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

 〇…全国11か所に入院、通院する子どもとその家族のための滞在施設「ドナルド・マクドナルド・ハウス」を運営している公益財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパン(DMHC)。そのアンバサダーを務める北澤氏が8日、静岡県立こども病院で入院患児や付き添いの家族が必要としている日用品の配布を手伝った。DMHCは今年から、支援の拡大を目指しハウスの運営だけでなく入院中の患児とその家族をサポートするための活動「シェアハートプロジェクト」を発足。その一環として、患者向けのおもちゃ、文具、付き添い家族のためのマスク、アメニティー、癒しグッズなどの日用品を無償配布している。 

 〇…7日のJ3・今治×福島戦は「三菱商事マッチデー」と銘打ち、様々なイベントを開催。マッチデースポンサーの三菱商事が障がい者スポーツを支援していることから、同日は今治特別支援学校フットボール部や愛媛県知的障害者チーム「えひめ I select」などを招いてのフットベース大会、チャリティーリフティング大会などが行われ、日本障がい者サッカー連盟会長を務める北澤氏も参加してイベントを盛り上げた。

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