【巨人】長嶋茂雄さん、文化勲章受章 野球を文化に変えた「ミスタープロ野球」

スポーツ報知
文化勲章を受章し笑顔でガッツポーズをする長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督

 巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄氏(85)=報知新聞社客員=が26日、2021年度の文化勲章を受章することが決まった。政府が発表した。野球界初の快挙で、スポーツ界では「フジヤマのトビウオ」こと競泳の古橋広之進氏以来。他にノーベル物理学賞に決まった真鍋淑郎氏(90)ら計9人が選ばれた。文化勲章の親授式は11月3日に皇居で開かれる。

 「ミスタープロ野球」に最高の栄誉が届いた。プロ野球史上に偉大な功績を残し普及発展に尽力してきたとして、長嶋さんが文化勲章に選ばれた。球界からは初の受章となる。

 「驚いています。まさか受章させていただけるとは思ってもみなかったです。上手に言うのは難しいですね、章が章ですから。歴代のプロ野球選手の中では初めてと聞いて大変栄誉に思います。皆さんのおかげで頂けたということは非常にうれしい気持ちです」

 受章理由の一つには、今夏の東京五輪を盛り上げたことも評価された。開会式で聖火リレーを務め、ソフトバンクの王貞治球団会長とヤンキースGM特別アドバイザーの松井秀喜氏と共に聖火をつないだ。2004年3月に脳梗塞(こうそく)を患った影響で右半身にまひが残る中で「さあ、行こう!」と声を張るほど気合を入れて臨み、一歩一歩、力強く歩んだ。その姿に世界中が勇気、パワーをもらった。

 「コロナ禍で開催が危ぶまれたりもしましたが、いろんな方のご尽力で、東京でオリンピックをできたことは本当にうれしく思います。聖火リレーにも参加することができて非常に興奮しました。世界中に日本の素晴らしさをお届けできたと思います」

 巨人の選手だった1964年、東京五輪で開会式をスタンドから観戦した。チームメートの王貞治氏と一緒に多くの種目を観戦し、スポーツの魅力に引き込まれた。ユニホームを脱いだ浪人時代には84年ロサンゼルス、88年ソウル、92年バルセロナと3大会連続して現地を訪問。思い入れは強くなった。だから今回、2度目の東京五輪で聖火ランナーに選ばれた際には「走る姿を見せられたら」と目標をつくり、懸命なリハビリを行ってきた。

 「今回の東京オリンピックはまた違った雰囲気を感じ、何ともいえないものでした。スタンドから見た、あの東京オリンピックに今度は参加できて非常に興奮しました。いろんな競技を見て、応援して、たくさんの感動をもらいました。少しでも力になれたのなら、これもうれしいことです」

 五輪を一ファンとして応援してきたが、野球界の普及発展にも大きく貢献してきた。58年に立大から巨人入り。追いかけるように、テレビ中継が全国的に広がった。スポーツ新聞の野球報道もプロ野球に移り、試合経過中心の紙面は、選手の人柄や素顔を表す原稿へ進化。ファンも増え、野球を文化に変えたのが長嶋さんだ。

 「僕の場合は野球を一生懸命にやってきた。試合に勝つことでファンは楽しんでくれるし、喜ぶプレーを見せることも役割だと思っていました。文化勲章を頂けると聞いた時は、何ともいえない気持ちになりましたね。長い間の野球生活ではいろんなことがありましたから。時代とともにいろんなことを思い出しました」

 自身の中で強く印象に残る試合には、59年6月25日、後楽園球場での天覧試合(対阪神)が挙がる。観戦された天皇、皇后両陛下の前でサヨナラアーチを放ち、興奮のあまりダイヤモンドを全力疾走。「天皇陛下とは目が合った」とも回想している。現役時代の背番号「3」は永久欠番となった。巨人軍監督としては94年、中日と優勝を決める大一番「10・8決戦」。当時先発3本柱だった槙原、斎藤、桑田のリレーで優勝した。圧巻の勝負強さで常にファンの期待に応え、魅了し、喜ばせてきた。

 05年に文化功労者、13年には、まな弟子・松井秀喜氏と国民栄誉賞を同時授与された。85歳になった今でもスポーツ全般、特に野球への情熱は変わらない。「日本のスポーツの中でも、野球は何ともいえないスポーツです。私の受章が励みになって、スポーツ全般が盛り上がっていけばいいですね」と願っている。

(水井 基博)

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