【ヤクルト】高津臣吾監督は「我慢」と「思いやり」の「野球小僧」五十嵐亮太氏ら3人が明かす秘話と人物像

スポーツ報知
6年ぶり優勝を果たし、胴上げされる高津臣吾監督(中)(カメラ・宮崎 亮太)

◆JERAセ・リーグ DeNA1ー5ヤクルト(26日・横浜)

 高津監督は日米に加え韓国、台湾、独立リーグでもプレー。12年にBC新潟で選手兼任監督として指導者の道を歩み始めてから、10年目で古巣を頂点に導いた。元ヤクルト・五十嵐亮太氏(42)、BC新潟・池田拓史球団社長(40)、同・稲葉大樹野手コーチ兼内野手(37)の証言から人物像に迫った。

 ■愚痴を言わない 高津は「我慢の男」だ。

 五十嵐氏はヤクルトで現役時代をともに過ごした。守護神の重責を他人に見せない姿からすごさを知った。

 「悔しさをグッとこらえて、どうしようかと考える姿が印象的。愚痴を言わず、弱さを漏らさない。人を責めないプレーヤーだった」

 高津が米大リーグから復帰した06年。食事に出かける機会も多かったが、ある時期に一切、酒類に口をつけなくなった。並んでエレベーターを待っている時に理由を知った。

 「パッと肘を見たら真っ赤に腫れていた。それは無理だろ…と思いました。でも肘が痛いとは言わない。負けん気の強さ、メンタルの強さがある人だった」

 チームを率いる姿を見て、敬意を込めて言う。

 「あの人が一番、我慢強かった。宮本慎也さん、古田敦也さんより勝っている」

  

 ■選手への気配り 高津は「思いやりの男」だ。

 池田氏は08年にBC新潟へ入社。高津が入団した11年、さらなる成長を目指して打ち込む姿が印象に残る。

 「これからNPBを目指していく選手に背中を見せてほしいという熱意を伝えました。ロッカールームがない球場でも『台湾、韓国も経験しているから全然気にしなくてもいい。合わせていくから大丈夫』と言ってくださった」

 12年には選手兼任監督に就任。就任1年目で、球団創設6年目のチームを初Vに導いた。当時主将を務めた清野友二氏(現松本大硬式野球部監督)にまつわるエピソードがある。サブとしての出場が多い外野手だった。

 「ある試合で彼がバットを短く持って安打を打ったら、試合後に高津監督に呼び出された。『ナイスバッティングだけど、なんで短く持っていたの? ストレスを感じずに楽しくやれているか?』と。そこまで気を配ってくれるのか、と清野君は感激していました」

 

 ■家でファミスタ 高津は「野球小僧」だ。

 稲葉氏は、11年は選手同士で、12年は選手と監督の立場で接した。一流の技術に驚く点は多くあったが、最も衝撃を受けたのは野球への愛情だ。

 「飲みに行ったり、焼き肉にも誘ってもらった。高津さんは野球の話をしながら、手元の携帯では大リーグの開幕戦を見ている。家ではファミスタをやっていた。よく『稲葉も野球好きだけど、俺には勝てないな』って言われたのを覚えている。本当に野球小僧です」

 リーグ創設時の07年途中から唯一プレーを続け、今年で15年目のシーズンを終えた。現役続行を決めた時点で連絡を入れると、必ずメッセージが返ってくる。

 「『やると決めたらとことんやりなさい。やめるのは簡単、現役を続ける方が難しい』と。周囲に生きる力を与え、人を言葉で動かしていける人。高津さんの背中を自分も追いかけているのかなと感じます」

 高津の恩師、故・野村克也監督は「財を残すは下、仕事を残すは中。人を残すは上」と説いた。教えはさまざまな場所で受け継がれている。

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