【ヤクルト】高津臣吾監督5度舞い選手に「本当におめでとう」2年連続最下位から3つの「カン」で再建V

スポーツ報知
6年ぶり8度目のリーグ優勝を決め、胴上げされる高津監督(カメラ・宮崎 亮太)

◆JERAセ・リーグ DeNA1ー5ヤクルト(26日・横浜)

 ヤクルトが6年ぶり8度目のリーグ優勝を果たした。マジック「2」からDeNAに勝ち、2位・阪神が中日に敗れ決定。最大7ゲーム差をひっくり返し前回15年に続き2年連続最下位から栄冠をつかんだ。大リーグでプレーした日本選手として初の優勝監督となった就任2年目の高津臣吾監督(52)は5度、胴上げされた。11月10日初戦のCS最終ステージから01年以来の日本一を目指す。

 こみ上げる感情をこらえられなかった。試合終了から17分後の午後9時21分。阪神が敗れて、6年ぶりの歓喜の瞬間を迎えた。最高の笑顔で三塁ベンチを飛び出したナインを、高津監督は赤く潤んだ目で見守った。マウンドに足を進め、野手最年長39歳の青木と熱く抱擁。歓喜の輪の中心で本心を伝えた。「本当におめでとう」。田口からの「(胴上げは背番号の)22回で」という提案を「5回にしてくれ」と制して、01年に自身が胴上げ投手となった横浜で5度宙を舞った。「本当にホッとした気分。気持ちよく胴上げしてもらった」。至福の時間を堪能した。

 この1年を象徴する“つなぎの野球”だった。同点の3回に打者10人の猛攻で4得点。4点リードの6回には今季12試合全て先発起用して3勝を挙げていた高橋を起用。中5日で託された左腕は2回0封でバトンをつなぎ、8回からは清水―マクガフの勝ちパターンが締めくくった。「打線も投手もつないでいく野球がしっかりできた」。高津野球を最後まで貫いた。

 野球人としての信念がある。「観察感性考える。3つの『カン』を大事にする」。今季は「監督になって『勘』は強くなったかもしれないが、感じさせる、感じる方の『感』が重要だった」と振り返る。

 観察が選手起用に生きた。先発投手は状態が悪いと判断すればシーズン序盤でも抹消し、再調整させた。2年目右腕・奥川は、9月まで中10日以上の間隔を空けながら経験を積ませて9勝。終盤の勝負どころを想定し先発の中5日は9月下旬、中継ぎの4連投も10月上旬まで封印した。野手も村上以外は休養を与えながら起用。7月中旬には月間打率1割台と苦しむ村上を「1人で背負い込むことはない」と鼓舞した。気配りを欠かさず、打線はリーグ1位の617得点と機能した。

 「1点にこだわる野球」を掲げ、「あまり考えさせることはしなかった。(選手に)感じてほしいし(自分が)感じてあげる」と選手の感性を信じた。挑戦心を植え付け、役割の明確化に注力。若手を信頼して重要な場面を託した。先発で奥川、高橋、金久保、リーグ新記録149ホールドの中継ぎでは清水、今野ら“高津チルドレン”が輝いた。

 昨年2月に急逝した野村克也監督の言葉が「考える」支えになった。93年に抑えに抜てきされ8年間、薫陶を受けた恩師の教えをまとめた3、4冊のノート。就任2年目、金言の詰まった“教科書”を見返す機会が増えた。「野球の技術はもちろん、チーム、人、組織として。たくさん大事なことが書いてある」。ボロボロで持ち運び困難なほど読み込まれたノートが力になった。「『ようやったな』くらいは言ってくれるかもしれない。『フン』って笑っているんじゃないか」。野村野球を見事に継承した。

 3位で迎えた9月7日、首位・阪神との3連戦前に4分半の訓示で「絶対大丈夫」と繰り返した。力強い言葉が選手の背中を押し、9月中旬から球団新記録の13戦無敗で首位に浮上。後にグッズ化され、今季を象徴する言葉になった。「歴史に残るシーズンにしていきましょう」。3月26日の開幕当日に語った言葉は214日後、現実になった。

 広島工、亜大では2番手投手。「ナンバー2」を自認する男はヤクルトで守護神となり、米国、台湾、韓国、独立リーグを渡り歩いた。開幕前、評論家の最下位予想が多数だったチームは、6月19日に最大7ゲーム差をつけられながら予想を覆した。次の目標は20年ぶりの日本一。全てのツバメ党に誓った。「絶対大丈夫。我々は絶対にどんなことがあっても崩れません」。野球は筋書きのないドラマであることを証明し、ナンバー2の男が頂点に立った。(小島 和之)

 ◆高津 臣吾(たかつ・しんご)1968年11月25日、広島県生まれ。52歳。広島工から亜大を経て90年ドラフト3位でヤクルト入団。4度の最優秀救援投手に輝き、04年1月にWソックスにFA移籍。メッツなどを経て06年にヤクルト復帰。韓国、台湾、BC新潟でもプレーし、12年に現役引退。14年に1軍投手コーチとしてヤクルトに復帰し、17年から2軍監督、20年に1軍監督に就任。通算286セーブは歴代2位。180センチ、75キロ、右投右打。

 ◆東京ヤクルトスワローズ 1950年に前身の国鉄スワローズが結成され、セ・リーグに加盟。65年に経営権がサンケイ新聞社に移り、サンケイ・スワローズとなる。その後、サンケイ・アトムズ、ヤクルト・アトムズと変遷し、74年からスワローズに戻った。78年に広岡監督で初のリーグ優勝と日本一。90年代は緻密(ちみつ)なデータを駆使する野村監督の「ID野球」で4度のリーグ優勝、3度の日本一と黄金期を築いた。第2次小川監督時代を経て2020年から高津監督が就任。オーナーは根岸孝成氏。オーナー代行兼球団社長は衣笠剛氏。

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