【ヤクルト】「ムネ、また泣いてた」村上宗隆、不動の4番への道のりで流した大粒の涙…元・番記者は見た

スポーツ報知
村上宗隆

 初めて村上宗隆をただ者ではないと思ったのは野球ではない。入寮して間もない2018年1月の新人合同自主トレだった。

 外れとはいえ3球団競合のドラ1。高校通算52本塁打の大砲候補に取材が連日集中するのは選ばれし者の宿命だ。報道陣とは年齢がひとまわり、ふたまわりほど違う。九州学院時代にそこまで取材慣れしていたわけはないだろうが、立ち合いから全く物怖じすることはなかった。

 ある日の囲み取材。質疑がしばらく続き、少しの間が生まれると「はい、じゃあ大丈夫ですか」と自ら打ち切ったのだ。それでいて全く不快な印象を与えない。歩きながら話を聞いていても「じゃあ、ここで」。特に入団したばかりの新人は、広報が同席していないと得てして取材がだらだら続いてしまいがちだが、必要最低限を語り、無駄を一切許さない17歳の仕切り術に驚かされた。

 キャンプは2軍の宮崎・西都スタート。とはいえ、1軍キャンプを行う沖縄・浦添にも大器の評判は聞こえてきた。高津2軍監督は開幕から4番で起用し、ファームで春先に巨人・内海哲也(現西武)や西武・菊地雄星(現マリナーズ)らから一発をマーク。すさまじい弾道でインパクトを残した。

 こちらも村上だけは2軍の全試合、全打席の結果を記録し、いつでも資料として活用できるようにした。その秋に1軍でプロ初打席本塁打の鮮烈デビュー。2年目はミスを繰り返しながら、それを補う成績で順調にブレークの兆しを見せた。

 開幕直前のオープン戦。北の大地で村上の印象をぜひ聞いてみたい男がいた。大阪桐蔭時代に担当した日本ハム・中田翔(現巨人)だ。試合後に姿を見つけ、札幌ドームの駐車場に上がるエレベーターに一緒に乗り込んだ。話題を振ると、数打席しか目にしていないが、その存在は認識していた。車の前で初めは淡々と応じていたが、高卒2年目と伝えると「えっ! 2年目!?」と仰天。「それはすごいと思うよ。あれだけ振れるのはそうそういない」と太鼓判を押してくれた。

 順調に成長を遂げる一方で、当時は試合後によく涙を流していたという。首脳陣からミスを指摘されると、自分への腹立たしさが表情に表れ、それが不満げに映ってさらに怒られることもあった。

 クラブハウスから出てくるチーム関係者が「ムネ(村上)、また泣いてた」と明かしたのも1度や2度ではない。気の毒に感じることもあったが、この年の184三振、15失策があったからこそ今がある。大粒の悔し涙が成長させてくれた。

 素の表情を垣間見たのは、その年末の報知プロスポーツ大賞表彰式。フレッシュ賞を受賞し、各スポーツ界のそうそうたる顔ぶれの中で珍しく緊張を隠せなかった。式が始まる前にその年限りで現役を引退した巨人・阿部慎之助、女子ゴルフの渋野日向子らに恐る恐るあいさつ。紙面用の撮影などを終えて円卓で一息ついていると、もじもじしながら小声で「一緒に写真撮ってもらいたいんですけど、大丈夫か聞いてもらえませんか」。

 お目当ては隣のテーブルで取材を受けていたボクシングの井上尚弥。「ファンです。ほとんどの試合を見ています」と公言する存在だ。快く応じてもらい、2ショット撮影が実現した。根はミーハー。席に戻ると、うっとりした顔で「1発殴ってほしいです…」とつぶやいたのは決して冗談ではなかっただろう。

 球界を代表する選手になっても野球への姿勢は変わらない。よく声を出し、練習も一生懸命。子供のファンには特に丁寧に応対し、背番号55のユニホームもよく見かけるようになった。入団してからしばらくはなぜか憧れの選手を問われても明かさなかったが、ある夜突然、スイッチが入ったのかエンゼルス・大谷翔平への思いを目を輝かせながらまくしたてた姿が印象深い。

 体も強い。担当時代に脇腹、頭部付近の死球、右足の張りなどのアクシデントで何度か途中交代があった。故障箇所的にさすがに今回は…と思っても、翌日のグラウンドに必ずプレーボールから立ち続けた。20日の阪神戦(甲子園)で400試合連続出場。「まだ若いんで」と笑うが、価値は計り知れない。

 そんな男が目指し、不動の4番打者として到達したセ界の頂点。初めて書いた村上の原稿を「末恐ろしい」というフレーズで締めたが、その思いは3年前より強くなっている。(18~20年ヤクルト担当・田島 正登)

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