ロッテ、再現なるか1963年西鉄の残り4戦全勝での逆転V

スポーツ報知
優勝を決めた西鉄ナイン(1963年10月20日、平和台球場)

 接戦が続くパ・リーグはオリックスが全試合終了。2位ロッテは1ゲーム差で残り3試合となった。過去、2シーズン制などを除き、首位チームが全試合終了、優勝の可能性を残す2位チームが4試合以上残したケースは長期1シーズン制で4度あった。結果は首位逃げ切りが2度、2位の逆転Vが2度だった。

 1988年10月19日、首位で終えた西武を追う2位近鉄の戦いは野球ファンなら誰でも知っているロッテ戦ダブルヘッダー。連勝なら逆転だったが、2試合目が引き分けに終わったために涙を飲んだ。1966年のパ・リーグは2位西鉄は4戦4勝で首位南海とタイというハードルの高さもあって最初の試合に敗れて幻に終わった。

 1964年のセ・リーグも大混戦。全日程終了の大洋は80勝58敗2分け、本拠・甲子園での3試合を残した阪神は77勝56敗4分けで0・5ゲーム差だった。9月29日、阪神は国鉄相手に、エースのバッキーが完投で29勝目、打線も11安打を集め7―2で完勝し首位に立った。30日、中日とのダブルヘッダーで1勝すれば2年ぶりの覇権となるところ、第1試合に12点を挙げる猛攻であっさり決めた。パ・リーグの覇者が南海での、プロ野球唯一の関西シリーズとなったが、埼玉に住んでいた野球好きの私もまったく記憶に無い。それというのも東京五輪が目前に迫って、関心はプロ野球どころでは無かったからだろう。

 その1年前の1963年のパ・リーグの大逆転は、セ・リーグが巨人の優勝が決まっていたことで覚えている。南海・野村克也捕手の当時の日本プロ野球新記録の52号本塁打で最終戦を飾った南海は85勝61敗4分け。2位西鉄は82勝60敗4分けの1ゲーム差で、この年9年ぶりに勝ち越した近鉄相手の2日連続ダブルヘッダーの4試合を残していた。

 ともに地元・平和台球場での開催という地の利があったものの3勝1敗なら同率でのプレーオフ、優勝するためには4連勝という厳しい条件でもあり、南海・鶴岡監督も「(西鉄の3勝1敗で)優勝決定戦になる公算が強い」と話していた。

 10月19日、第1試合は17―5と打ち勝ち、第2試合は4回の和田博実の逆転3ランを守り切って3―2で逃げ切った。そして迎えた20日の第1試合が凄かった。7回を終わって4―0とリードを許していたが、1点を返した8回2死一、二塁からロイ(この年ウィルソン、バーマと3人の外国人打者が戦力となった)が同点3ラン。3万5000人の超満員の声援を受け、延長10回に田中久寿男の左中間タイムリーでサヨナラ勝ち。第2試合は戦意喪失の近鉄に2―0で奇跡の4連勝で5年ぶりのリーグ優勝を決めた。

 グラウンドになだれ込んだファンの胴上げは中西太選手兼監督だけでなく、誰彼無く外国人トリオもお構い無し。当時の報知新聞の優勝原稿には「ウィルソンのはげ上がった頭をピチャピチャ叩いて祝福するファン」とあった。まだ30歳だった中西監督は控え室でおいおい泣いた。指揮官の会見の冒頭は「泣けてしかたがなかった」だった。

 こんな奇跡も過去にはあった。もし、ロッテが3連勝すれば1963年西鉄以来の大逆転となるが、どうなるか楽しみである。

 蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)

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