新日「G1クライマックス」陰のMVPはKENTA…抜群の「言葉力」で共感呼ぶ新たなレスラー像とは

スポーツ報知
鷹木信悟を強烈な絞め技で攻め立てたKENTA。試合後、「負けてなお、俺はお前のこと認めてねえから」という名ゼリフを口にした(新日本プロレス提供)

 オカダ・カズチカ(33)の7年ぶり3度目の優勝で幕を閉じた新日本プロレスの最強シングル決定戦「G1クライマックス31」。

 新日にカネの雨を降らせる「レインメーカー」として完全復活を遂げたオカダが1か月に及んだ闘いの中心にいたのは間違いない。それでも、私が個人的にMVPに推したいのが、抜群の「言葉力」でシリーズを盛り上げ続けたKENTA(40)だった。

 かつてはヒデオ・イタミのリングネームで米WWEで活躍。現在も米フロリダ州オーランドに自宅のあるKENTAは新型コロナ禍の中、来日後2週間の隔離期間を経て、参戦した。

 9月18日のAブロック開幕戦でいきなり矢野通(43)のテクニカルな固め技、その名も「KENTAの丸焼き」の前に黒星発進となったが、同日、優勝争いのライバルで因縁の相手・内藤哲也(39)がザック・セイバーJr.(33)戦で左ひざ内側側副靱帯(じんたい)損傷、半月板損傷の重傷を負い、残りのブロック戦8試合すべての欠場が決まった途端、そのワードセンスがさく裂した。

 自身のツイッターで「鉄也……バカチンが!」と、これまで内藤を挑発する際に使用してきた俳優・武田鉄矢のセリフを何重にももじった言葉で呼びかけ、スター選手の欠場という非常事態を笑いに転換。開幕早々に新日を覆った悲壮感を払拭(ふっしょく)してみせた。

 同月30日の東京・後楽園ホール大会でIWGP世界ヘビー級王者・鷹木信悟(38)に敗れた後のバックステージでは「鷹木、負けてなお、俺はお前のこと認めてねえから」と、全くめげていないコメントを残して話題に。

 さらに10月7日、広島サンプラザホール大会でのスペシャルシングルマッチで高橋ヒロムとのヘビーとジュニアヘビーの階級を超えた好勝負を制した後は「俺は対ヘビーでやってきた2000年代の、あの時代のことも誇りに思ってるし、今の自分を誇りに思っているよ」と、プロレスリングNOAH時代、対ヘビー級路線でトップに登り詰めた自身の経験を振り返り、言葉を紡いだ。

 「俺は死ねだ消えろだ言われてもここまで来た」と2020年1月5日の東京ドーム大会でIWGPヘビー級王座(当時)奪取後の内藤を襲撃した後、SNS上などで「史上最悪の乱入男」として数多くの批判を浴び続けた自身の過去を振り返っての本音もポツリ。

 「言葉の真剣勝負」のメインイベントが「ゴールデン☆スター」飯伏幸太(39)との「神」論争だった。

 発端は13日の宮城・仙台ゼビオアリーナ大会での試合後、ブロック戦1位勝ち抜けをかけて18日の横浜武道館大会で激突することになった飯伏について「次、誰か知ってる? 次、イブコー。オイ、ハマコーみたいに言うなよ。イブコー、あいつがどんなヤツか知ってる? あいつは全地球上、全歴史上の人物の中で最も軽々しく神って言葉を使った男。なんて言ったか知ってる?『オレは神になる』。やべえだろ、これ。40近いヤツが『神になる』って言ったら、ただのやべえヤツだろ。お前らそれに対して拍手して。あの空間、やべえからな」と言い放った。

 これに対し、飯伏がツイッターにリプライする形で「KENTAさん ごっこしましょうよ、○様ごっこ」などと複数回にわたって不敵にコメント。書き込んでくる時間が午前4時台だったこともあり、KENTAは「飯伏寝ろ」、「飯伏いいから寝ろ」、「飯伏俺たちは寝る」など、その都度、早めの就寝をアドバイス。「飯伏寝ろ」はツイッターのトレンド入りを果たした。

 さらに飯伏が自身が「神」と尊敬する棚橋弘至(44)との過去の会話「棚橋『飯伏ー!次はな、おまえが“神”になれよ!(と言って、拳で飯伏の胸を突く)』 飯伏『“神”になりますよ!(と言って、拳で棚橋の胸を突く) 棚橋『よし』 飯伏『任せてください』」を貼り付けてリプライしてくると、「ヤバっ笑 何だこれ!お前もヤバいけど棚橋もなかなかヤバいな。これ40歳過ぎた男と40歳手前の男の会話だぞ。恐怖しかないわ。この世界の会話じゃないぞこれ」と返すと、ついには棚橋まで参戦。「今、昼寝から目を覚ましたら、なんか世界線が交わっとる」と書き込んだ。

 この棚橋の言葉に「ヤバいのが1人増えた」と困り果てた様子の顔文字とともにつづると、その一方で飯伏の不規則な生活を気遣う言葉もハッシュタグのもと、つづり続けたKENTA。「飯伏ご飯ちゃんと食べてるか」、「飯伏たまには実家に顔出しなさい」、「飯伏早くいい人見つけなさい」、「飯伏もう母さんは寝るよ」と続けざまに記した。

 リング上でも大暴れ。あと一歩で優勝決定戦進出を逃したが、飯伏との決戦に惜敗した後の言葉も最高だった。

 「ああいう狂ったイブコーとやりたかった。イブコー、やばかったよ。あいつ、やべえ。いろんな意味でやべえよ」と勝者をたたえると、「まあ、結局、俺が今シリーズ通して何が言いたいかって言うと、いろいろ人の悪口言って『あいつ、だせえ』とか『あいつ、やべえ』とか、いろいろ言ってきたけど、結局、40にして、こんな髪の色して一番、やべえのは俺なんじゃねえの?ってこと」と、自虐的な言葉まで口にした。

 G1閉幕後には11月6日の大阪府立体育館大会で棚橋の持つIWGP USヘビー級ベルトに挑戦することが決定。現在は棚橋に対して、「このベルトを獲ってから何かしたか? 入場の時にだけ巻いて『俺がチャンピオンだよ』って、ファンに見せびからしてるだけじゃん。あいつにとって、このベルトはエゴを満たすためのアクセサリーだろ。ファンを楽しませるのもプロレスラーの仕事の一つなのに、あいつは新日本はおろか他団体からも挑戦者の一人も指名してない。最悪だよ」と“猛口撃”。

 ツイッターでも「おばあちゃんが誰にでも『愛してます』という人だけは信用するなって言ってました。皆さんも気を付けてください」と棚橋の勝利後の決めゼリフ「愛してま~す!」まで完全否定する“筆誅”を加えている真っ最中だ。

 そう、この「ファンを楽しませるのもプロレスラーの仕事の一つ」という意識の高さこそが最大の魅力。思えば、その「言葉力」が注目を集めたのは、昨年3月、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、小池百合子都知事による外出自粛要請にもかかわらず、出歩く若者を米国からのツイートでしかりつけた時だった。

 「結局、俺が何を言いたいかっていうと…」という決めゼリフを枕詞(まくらことば)に自身が試合後の会見で絶叫している写真をアップ。口元に「家にいろって事!」という吹き出しをつけてツイート。この投稿にファンが「すみません…。ゲーセンにおります」と書き込んだとたん、怒り爆発。「バカか! さっさと家に帰るんだ」と一喝してみせた。

 安倍晋三首相(当時)が全世帯に布マスクを2枚ずつ配布する方針を明らかにすると、大文字で「欲しいのはマスクより補償って事!」と強調。自粛要請の中、神奈川・江ノ島などに人があふれる光景を見ると、「おい!江ノ島はずっとそこにあるぞ!今じゃない!」と警鐘を鳴らした。

 そんな言葉の数々にファンも即座に反応。ツイートのたびにコメント欄には「言動がヒールじゃない、もはやヒーローだよ」、「コメントの端々に男気を感じる」、「著名人がこうして警告することにこそ意味がある」などの称賛の声が集まった。「プロレス界一のSNSの使い手」とまで称賛された男への強烈な興味に突き動かされた私は国際電話でのロングインタビューを試みた。

 その時も「プロレスファンほどいい加減な生き物はないよ。今、『応援してます』って言ってくれるヤツらだって、こないだ(昨年1・5東京ドーム)まで俺に『帰れ!』って言っていた人でしょ。でも、それがプロレスのいいところだよ。ガンガン手のひら返すから。プロレスファンは手首が柔らかくないとね。でも、そんなヤツらだとは言え、今、こういう状況だから、みんな安全第一で。ブーイング一つだって、一人いなくなったら寂しくなるわけだし…」と、本音を漏らした上で「結局、俺が何を言いたいかって言うと…。本当にしっかり、これ(感染拡大)を乗り切って、誰1人欠けることなく、また会場に来て、ブーイングして来いってこと!」と、いつもの決めゼリフでまとめてくれた。

 37分間に及んだインタビューの中で、私の心をがっちりとつかんだ言葉があった。「確かに昔からプロレスが好きな人やファンには自分の憧れのプロレスラーが言う言葉というのは少なからず、時として何かしらの力になったりするとは思うから、(自分の言葉も)何かになればいいとは思うけど、それは受け取る側の解釈だから」―。

 私も情報の伝え手の端くれだからこそ、短い言葉でフォロワーやファンの元に的確に言葉を届け続け、シリーズ中、常に次の対戦相手との「ストーリー」を作り上げ、盛り上げていくKENTAの「言葉力」に心から感心した。取材するたびに心の温かさもまた感じ取ってしまう。こんな感想はヒールレスラーにとって、本当は営業妨害なのかも知れないけれど―。

 思い出すのは、18日の横浜武道館のバックステージ。26分16秒の大熱戦の末、飯伏に敗れた後、KENTAは最後に取材陣にこう言ってほほ笑んだ。

 「楽しかったよ」―。

 新日最大のプロレスの祭典「G1クライマックス」が幕を閉じた今、その言葉をそのまま魅力的な言葉を口にし続けるプロレスラーにこそ返したいと思う。(記者コラム・中村 健吾)

 ◆KENTA(ケンタ) 本名・小林健太。1981年3月12日、埼玉・草加市生まれ。40歳。東京・修徳高時代にプロレスラーを目指す。99年、全日本プロレス初の一般公募オーディションに合格。00年、デビューも同年、三沢光晴氏らが旗揚げしたノアに移籍。丸藤正道とのライバル関係などで人気を呼ぶ。14年、米WWEと契約。ヒデオ・イタミのリングネームで活躍後の19年6月、盟友関係にあった柴田勝頼とともに新日のリングに登場。同年のG1クライマックス参戦。ヒールユニット・バレットクラブ入りも独特のツイッターでの発言とバックステージ・コメントで人気を呼ぶ。174センチ、85キロ。

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