【23日号砲・箱根駅伝予選会】1949年、明大最後の優勝メンバー91歳の夏苅晴良さんが後輩にエール

スポーツ報知
明大の後輩にエールを送った夏苅晴良さん(カメラ・矢口 亨)

 第98回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=来年1月2、3日)の予選会は10月23日午前9時35分に号砲が鳴る。41校が出場し、ハーフマラソン(21・0975キロ)の上位10人の合計タイムで10枠の本戦出場権を争う。例年は東京・立川市の陸上自衛隊立川駐屯地をスタート、国営昭和記念公園ゴールのコースで行われているが、新型コロナウイルス感染防止対策として昨年に引き続き、今年も無観客で駐屯地内の周回コースで開催される。

 1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で、東京高等師範学校(現筑波大)、早大、慶大とともに「オリジナル4」と呼ばれる明大は、4年連続63回目の出場を目指す。明大は昨年11月の全日本大学駅伝で終盤までトップ争いを演じて3位。前回の箱根駅伝では上位争いが期待されたものの、序盤で出遅れ、10位の東京国際大と26秒差の11位でシード権を逃した。今回、2年ぶりに予選会に回ったが、選手層は厚く、トップ通過あるいは上位通過が見込まれる。

 明大は箱根駅伝で歴代6位の7回の優勝を誇る。だが、最後の栄冠は1949年まで遡る。その時の優勝メンバーのひとり、夏苅(旧姓・久保)晴良さん(91)は、後輩ランナーを温かく見守り、母校の躍進を心から期待している。これまでスポーツ報知の「箱根への道」の取材に何度も快く応じてくれた夏苅さんを改めて紹介したい。

 夏苅さんは箱根駅伝の4区と7区のコースとなっている国道1号線から山側へ1キロほどの足柄下郡下中村(現小田原市)で生まれ、現在は海側へわずか100メートルの二宮町に住む。コロナ禍の影響で応援を自粛した今年の大会を除けば、毎年、沿道で母校の明大を応援している。

 1929年生まれの夏苅さんは戦中、戦後の混乱期に青春時代を過ごした。

 「16歳で終戦を迎えました。戦時中は走ったり、勉強したりするより、勤労奉仕の時間が長かった。だから、戦争が終わって思い切り走れることはうれしかった」

 幼少期から間近で箱根駅伝を見て育った晴良少年は、走ることが大好きで、そして、得意だった。平塚農業学校時代の1946年夏、神奈川県大会5000メートルを18分6秒で優勝し、関東大会も制した(当時、全国大会はなかったという)。「平塚に久保(旧姓)あり」と、その名は広く知れ渡り、多くの大学に勧誘された。特に熱心だったのが日大だったという。

 「迷ったんですが、戦後復活大会(1947年)で優勝した明大にあこがれ、進学を決めました。ただ、日大の方からいただいた勧誘の手紙は今でも大事に取ってあります」

 昭和1桁生まれは義理堅い。

 1947年復活大会の明大の優勝記録は14時間42分48秒。コースは若干異なるが、中断前の最後の大会だった1943年の日大の優勝記録(13時間45分5秒)より約1時間も悪い。厳しい食料事情が理由の一つだった。

 「八幡山グラウンドで捕まえた蛇を皮はいで、焼いて食べていた仲間もいた。ウチは農家だったからマシな方だった。私が家から持ってきたサツマイモをみんなで分け合って食べたもんです。いつも腹が減っていたから20キロの練習なんてできない。せいぜい10キロ。だから、箱根駅伝本番の20キロは長かったなあ」

 1948年大会は1年生ながら4区に抜てきされた。明大は連覇が濃厚とされていたが、3区の田中久夫さんの区間最下位(12位)の大ブレーキなどで3位に終わった。雪辱を誓った翌49年大会。再び田中さんが3区を、夏苅さんが4区を担った。

 「この年の田中さんはすごかった。区間賞ですから。前年より34分48秒も速い。先頭でタスキを私に託した田中さんの鬼気迫る表情は今も忘れていません」

 夏苅さんも前年より1分23秒縮め、区間2位。故郷に錦を飾った。

 「当時、神奈川出身の選手は優先して地元を走らせてもらえた。もちろん10人に入る実力が必要ですけどね。箱根駅伝の当日は近所のおじさんが興奮しながら、私のすぐそばを自転車で伴走してくれ、応援団はトラックの荷台に20人くらい乗り込んで耳元で励ましてくれた。伴走禁止の今では考えられないおおらかな時代でした。道路にはチョークで何か所も『久保、ガンバレ』と大きく書かれていた。奮い立ちましたよ」

 明大は1区からトップを譲らず、早大と並び当時最多の7回目の優勝を2年ぶりに飾った。しかし、明大の優勝は、現時点で、その時が最後となっている。それから、約73年。夏苅さんによると、優勝メンバー10人のうち、夏苅さんを除く9人は残念ながら亡くなったという。

 「生きているうちに明大の8度目の優勝を見たいですね。私も近いうちにあの世に行くでしょう。仲間が待っています。『我々以来の明大優勝を見たよ』という土産話を持っていきたいですね」

 夏苅さんは笑顔で話した後、すぐにこう続けた。

 「でもね、現役選手の諸君は、こんなOBの思いとは関係なく、自分やチームメートのために、ただ、思い切り走ってほしい。だって、私もそうだったんだから」

 明大のレジェンドにふさわしい、深いエールだった。(竹内 達朗)

 ◆明大競走部 1907年創部。正式名称は「陸上競技部」ではなく「競走部」。箱根駅伝には1920年の第1回大会から出場。翌年、初優勝を飾り、1949年の25回大会まで7度の優勝を果たした。しかし、その低迷。56年大会は競走部の部員が足りず、助っ人としてラグビー部員が6人も出場。その大会の公式プログラムには監督としてラグビー界の「御大」北島忠治氏の名が記されている。出雲駅伝は最高7位(2011年、2013年)。全日本大学駅伝は最高2位(2014年)。タスキの色は紫紺。主な競走部OBは5000メートル日本歴代2位の鎧坂哲哉(旭化成)ら。練習拠点は東京・世田谷区八幡山。

 ◆夏苅 晴良(なつがり・はるよし)旧姓・久保(くぼ)。1929年7月2日、神奈川・足柄下郡下中村(現小田原市)生まれ。91歳。1947年、平塚農業学校(現平塚農高)から明大に入学。箱根駅伝は1年4区2位、2年4区2位。2年時の1949年大会は優勝に貢献した。卒業後、日本通運に入社。その後、電気機器メーカーのナツガリ電子を経営する夏苅家の長女・美恵さんと結婚し、婿入り。ナツガリ電子に入社し、その後、代表取締役を務めた。

 ◆1949年(昭和24年) プロ野球は1リーグ制最後のシーズンで巨人が戦後初優勝。10月に湯川秀樹氏が日本人初のノーベル賞を受賞。11月に朝日新聞で4コマ漫画「サザエさん」の連載が開始。主なヒット曲は「銀座カンカン娘」「青い山脈」。この年に生まれた主な著名人は武田鉄矢(歌手)、ガッツ石松(ボクシング元WBC世界ライト級王者)、矢沢永吉(歌手)、村田兆治(元プロ野球選手)ら。

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