東京パラリンピック・車いすバスケのテーブルオフィシャル後藤寛知氏・・・北のチャレンジャー

スポーツ報知
支給されたスーツを着用して、大会IDカードを手に笑顔を見せる後藤さん

 緊張と充実の12日間だった。道内で車いすバスケットボールの審判員として奮闘する後藤さん。8月25~9月5日に開催された東京パラリンピックの車いすバスケでは、試合時間や得点表示などをコートサイドで管理するテーブルオフィシャルを担当した。各国に生中継され、ミスは許されない世界。女子3位決定戦など期間中は毎日、裏方として激闘を支えた。大会後、国際連盟から日本人スタッフには「完璧なクルーワーク」と称賛の嵐。その一員となり「感極まりました」と振り返った。

 札幌市で生まれ育ち高校まではバスケットに熱中。卒業後、豪州でダイビングのインストラクターを務めた時、車いす利用者や視覚障害者の補助も担当した。その経験から帰国後は介護職に就き、自然と車いすバスケと関わるようになり審判の世界へ。激しくぶつかり合い、タイヤが床とこすれゴムの匂いが漂う。腕の力だけで高さ3メートル5センチのリングにシュートを放ちゴールを決める姿に「すごいなぁ」と魅了された。

 審判のキャリアを積む中、18年に東京パラリンピックスタッフの募集があった。その中で講習を経て絞られた24人に入った。本番で使用する機材を触る事ができたのは大会前デモ試合の6分間のみ。16年リオ五輪では現地スタッフがミスを連発し2日目で総入れ替え、という話も聞いた。「世界中から見られているので最初はド緊張。でも途中から慣れて緊張感もありつつ楽しくできました」と笑みを浮かべる。

 次の目標は審判として世界最高峰のコートに立つことだ。コロナ禍で大会開催が厳しくアピールの場面は少ないが「パリ、ロサンゼルス、ブリスベンは国際審判員で行く。今回で明確な目標になりました」。地元開催で得た貴重な経験を糧に、憧れの舞台を目指す。

 ◆後藤寛知(ごとう・ひろあき)1986年5月23日、札幌市生まれ。35歳。小学3年から高校3年までバスケットボール選手。位置は主にガード。高校を卒業後は米国、豪州に移住。28歳から車いすバスケの審判を始め現在はB級審判員。独身。

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