【西武】松坂大輔、さらけ出した118キロの直球…現役23年ブルペンの1球で引退決断

スポーツ報知
思い出の詰まった所沢のマウンドに背番号18で先発登板、最後の姿をファンに届けた松坂大輔(カメラ・小泉 洋樹)

◆パ・リーグ 西武2―6日本ハム(19日・メットライフドーム)

 西武の松坂大輔投手(41)が19日、埼玉・所沢市内で引退会見と現役最後の登板に臨んだ。時折、涙を見せながらの会見では決断までの経緯や家族、松坂世代への思いを語った。約5時間後の日本ハム戦(メットライフ)では昨年6月7日・中日との練習試合以来、499日ぶりに試合登板。横浜高の後輩・近藤に対し、全5球で四球を与えた。打者一人に最後の力を振り絞り、最速は118キロだった。世界中を魅了し、国民的スターへと上り詰めた“平成の怪物”が現役生活に幕を下ろした。

 思い出を一つずつ振り返るように、松坂はゆっくりと言葉を紡いだ。ボロボロになるまで闘った心と体。時折、涙を浮かべながらも全てをさらけ出した表情は晴れやかだった。「半分以上は故障との闘いだった。一番いい思いと、どん底を同じくらい経験した選手は僕ぐらいしかいないかもしれない」

 故障と隣り合わせのプロ人生。レッドソックス在籍時の08年5月が長いトンネルの始まりだった。ブルペンに向かう途中で足を滑らせた。とっさにポールをつかんだ瞬間に右肩に痛みが走った。オフ、肩の状態は悪化し09年からはフォームを模索。「痛みが出ても投げられる投げ方を探し始めた。その時には自分が追い求めるボールは投げられてなくて、最善策を見つける作業ばかりしてた」と苦悩の日々を回想した。

 右手のしびれで昨年7月に「脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術」。回復の傾向は見られなかった。「もう投げるのは無理。辞めなきゃいけないと思った」。古巣復帰2年目の今年4月末、何となく投じた1球が引退の引き金となった。

 2軍戦で投げられるかも、と話していた矢先。ブルペン投球の際に投じたボールが右打者の頭の方に大きく抜けた。「何の前触れもなかった。普通は『抜ける』と思ったら、指先の感覚でひっかけたりするけど、できないぐらいの感覚のなさ。たった1球でボールを投げることが怖くなってしまった」。初めて感じた恐怖が松坂の運命を決めた。

 会見から約5時間後。歓声に身を震わせ、499日ぶりに本拠地のマウンドに立った。横浜高の後輩・近藤に対し、3―1から四球。限界だった。最速は118キロ。全てを出し切り、大歓声に右手を振って応じた。

 自らを褒めるとしたら「諦めの悪さ。たくさんの方に迷惑をかけてきたけど、よく諦めずにやってきたなと思う」と言い切った。98年8月20日の夏の甲子園、PL学園との準々決勝。250球、延長17回をたった一人で投げ抜いた。「最後まで諦めなければ報われる、勝てる、喜べる。あの試合が諦めの悪さの原点なのかな」。華々しくも泥くさい23年間の礎は伝説の一戦から培った。

 現役生活の終盤は周囲から批判の声にも耐えた。ソフトバンクに在籍した15年から3年間、右肩のけがで1軍登板はわずか1試合。高額な契約に見合わないなど「心が折れたというか、受け止めて、はね返す力がなかった」。栄光だけではない。精神的に参った時期まで赤裸々に振り返った。

 妻・倫世さんや子供たちに感謝の言葉を口にした“平成の怪物”。「もう十分。十分やったじゃん。長い間、お疲れさま」。そう締めくくった。試合後はマウンドで膝をつき、右手をプレートに添えて感謝。プロ生活23年に別れを告げた。(森下 知玲)

 ◆松坂 大輔(まつざか・だいすけ)1980年9月13日、東京都生まれ。41歳。横浜高時代の98年甲子園で春夏連覇を果たし、同年ドラフト1位で西武入団。99年から3年連続最多勝。2006年オフにポスティングシステムでRソックス入りし、08年に日本投手最多の18勝。13年途中にメッツに移籍し、15年にソフトバンクで日本球界復帰。18年に中日移籍し、20年から西武復帰。日米通算170勝108敗。182センチ、92キロ。右投右打。

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