【ロッテ】「51年前に似ている」当時開幕投手&MVP木樽正明氏が51年ぶりM点灯の古巣にエール

スポーツ報知
グラウンドになだれ込んだファンに胴上げされるロッテ・永田オーナー(1970年10月7日撮影)

◆パ・リーグ オリックス1―6ロッテ(14日・京セラドーム大阪)

 ロッテが通期で優勝へのマジックナンバーを点灯させたのは1970年以来。51年前に開幕投手を務めMVPを獲得した木樽正明氏(74)がスポーツ報知の取材に応じ、当時の思い出を語った。胴上げ投手となった同氏はファンに胴上げされ、レフトまで運ばれたエピソードを披露。井口ロッテに熱いエールを送った。

 1970年、本拠地・東京スタジアムでのリーグ優勝は思い出深い。優勝投手としてゲームセットを迎えた瞬間、グラウンドになだれ込んできたファンにマウンドで胴上げされた。下ろされた時にはなぜかレフトにいたよ。その間、ずっとファンの手で宙を運ばれたんだ。近くでは永田ラッパさんも同じようにファンに胴上げされていた。選手とファンが一緒になってグラウンドで歓喜する。今では考えられない。

 この年は打線が活発で5人(アルトマン、有藤通世、池辺巌、山崎裕之、ロペス)が20本塁打以上を記録した。私が先発して序盤に2、3点取られても、濃人(のうにん)渉監督は「打って取り返せる」と、我慢して投げさせてくれた。すると味方が逆転し、私に勝ち星がつく。21勝を挙げてMVPを獲得できたのは打線のおかげ。投手と野手が信頼しあっていた。

 先発投手は小山正明さん(16勝)、成田文男さん(25勝)、私が規定投球回に到達。村田兆治くんが大活躍するのはもう少し先だ。エースは小山さんで「わしのピッチングを見とけ」「ヒマがあったら走れ」とよく言われた。成田さんには抑えから先発に転向した時にスライダーを教わった。直球とシュート系主体だった私の投球の幅が広がった。二人には感謝しかない。

 濃人監督はあまりガミガミ言わない人だった。交代を告げにマウンドへ来ても、私が「イヤです」と言うとそのままベンチに戻ったこともあった。選手を束縛せず、いいものを引き出してくれた。私、有藤さん、成田さん、山崎さんは23~24歳。「若さ」「勢い」「監督のスタイル」などがかみ合って優勝をつかんだ年だと思う。

 今年のロッテは侍ジャパンに誰も選出されず、「スーパースター不在」という見方もできる。それでもチームワーク、結束力を武器にいい戦いを続けている。70年のロッテと同じように、(井口)監督が選手の良いところをうまく引き出しているのだろう。マジック点灯まで苦しんだが、頑張って優勝のゴールに飛び込んでほしい。(元ロッテ投手)

 ◆1970年のロッテ 濃人(のうにん)渉監督のもと、80勝47敗3分けで2位南海に10.5ゲーム差をつけて優勝した。投手陣では21勝を挙げた開幕投手の木樽に加え、小山が16勝(防御率2.30)、成田が25勝(防御率3.21)を挙げた。日本シリーズは巨人に1勝4敗で敗れた。

 ◆木樽 正明(きたる・まさあき)1947年6月13日、千葉・銚子市生まれ。74歳。銚子商のエースとして65年夏の甲子園で準優勝。同年のドラフト2位で東京(現ロッテ)入り。持ち前の速球とシュートを武器に、69年15勝で防御率1位(1・72)。71年24勝で最多勝。通算112勝80敗。76年の現役引退後はロッテのコーチやスカウト、巨人の編成、JFE東日本のコーチなどを歴任。現在は銚子市の市政アドバイザー、松山鋼材(株)の相談役。右投右打。

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