【駅ペン】箱根駅伝の名解説者だった故・碓井哲雄さんに誓う「もっと大学駅伝」限定コラム

スポーツ報知
史上初の5連覇のゴールを果たした中大10区の碓井哲雄さん(1963年年1月3日撮影)

 箱根駅伝を生中継する日本テレビの解説者として、おなじみだった碓井哲雄さんが2021年9月11日に亡くなった。79歳だった。

 碓井さんは、1959~64年に箱根駅伝6連覇を果たした中大の黄金期に主力選手として活躍した。中大杉並高(現中大付属高)を卒業後、東急を経て、中大に入学。1963年大会は10区区間3位で5連覇のゴールテープを切った。1964年大会は2区区間3位で6連覇に貢献した。

 大会史上最長のV6を成し遂げた中大の強さについて、碓井さんに聞いたことがある。「山上りの5区と山下りの6区以外の8区間は選ばれたメンバー8人がくじ引きで決めた。つまり、誰がどこを走っても勝つ、ということですよ」

 しかし、碓井さんが4年生となった1965年大会では2位。碓井さんは2区で区間2位と好走したが、日大に7連覇を阻止された。

 箱根駅伝で勝ち続ける喜びと同時に勝ち続ける難しさも知っている碓井さんは、箱根駅伝を志す若い選手を温かく、時には厳しく見守った。日本選手権や日本学生対校選手権などビッグイベントはもちろんのこと、日体大長距離競技会など毎週のように行われる記録会にも精力的に足を運び、選手の走りを凝視していた。

 東洋大の低迷期の選手で箱根駅伝ではブレーキを連発した私にとって、碓井さんは雲の上の存在。日体大長距離競技会で1万メートルを10レースぶっ続けで一緒に観戦したことがある。

 「この選手は・・・」「あの選手は・・・」。約6時間、碓井さんの生解説を隣で聞き続けられたことは、元学生ランナーの記者にとって至福の時だった。

 碓井さんは、いつも、箱根駅伝は決してゴールではないことを強調していた。1964年の東京五輪には中大で箱根駅伝を駆けた選手が5人も出場。「私は五輪出場に届かなかったが、仲間は五輪の舞台に立ってくれた。1920年、箱根駅伝は『世界で通用する選手を育成する』という理念を掲げて創設された。いつの時代も学生ランナーは『箱根から世界へ』という気概を持ち続けてほしいですね」と話していた。

 スポーツ報知では箱根駅伝をはじめとする大学駅伝の報道に力を入れており、順大で選手、マネジャー、主務を経験した太田涼記者と2人で担当している。

 「箱根から世界へ」。碓井さんの思いを、少しでも引き継ぐことができるような記事を太田記者と共に書いていきたい、そう、強く思っている。(竹内 達朗)

 ◆竹内 達朗(たけうち・たつお)1969年11月6日、埼玉・戸田市生まれ。88年、川口北高から東洋大入学。89~91年に箱根駅伝出場も1年8区14位、2年3区13位、3年3区14位とブレーキ連発。4年時は予選会で敗退。競技の道を断念し、92年4月に報知新聞社入社。足で稼ぐ取材が信条で、青学大の原監督には「昭和の記者」と呼ばれている。

 ◆太田 涼(おおた・りょう)1991年7月8日、福島市生まれ。2010年、福島高から順大入学。1年生で1万メートル31分1秒を記録。3年から長距離・駅伝マネジャー。14年4月に報知新聞社入社。レイアウト担当を経て18年から箱根駅伝担当。フルマラソン自己記録はロサンゼルスでの2時間33分41秒。

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