初代竜王・島朗九段が語る『竜王戦第1局』『19歳羽生善治六段』『あの日のアルマーニ』

スポーツ報知
豊島将之竜王(中)と藤井聡太三冠(左)の竜王戦第1局2日目

 将棋の豊島将之竜王(31)に藤井聡太三冠(19)=王位、叡王、棋聖=が挑戦する第34期竜王戦七番勝負第1局が9日、東京都渋谷区のセルリアンタワー能楽堂で前日から指し継がれ、藤井三冠が先勝し、史上最年少四冠に向けて好スタートを切った。

 1988年度、棋界最高棋戦として誕生した竜王戦。同年、初代竜王に輝いた島朗九段(58)に竜王戦第1局、若き日の記憶を聞いた。(聞き手・北野 新太)

 ―耐え忍んだ末に藤井三冠が先勝しました。第1局の印象は。

 「お互いに辛抱と我慢の神経戦から最後はスプリント勝負になりましたね。でも、序中盤は豊島さんが藤井さんを苦しめる周到な指し手が目立ち、チャンスも多かったので竜王の快勝譜で終わってもおかしくはなかった。だから、結果を見れば逆転ということなのでしょうけど、逆転とは、どこか言いがたい難戦だったように思います。竜王戦の重みを感じた2日間でした」

 ―AIの評価値はわずかに豊島竜王側に傾いている時間帯が長かったです。

 「でも、評価値には『形勢が分かりやすい60―40』があれば『分かりにくい60後半―30前半』もあります。本局は後者でしたから(現地や放送などで解説する)棋士が評価値に首をひねることも多かったですよね。むしろ、2人合わせても評価値が100にならないような戦いだったと言えます。ですから、藤井さんは耐えた時間の長さによって『辛抱強さの名局』をつくった印象です。逆に豊島さんにとっては決め所がありそうでなかなかない、もどかしい将棋だったと思います」

 ―印象に残る指し手は。

 「藤井さんが本局最長考の79分を費やした▲6六金です。心の揺れを類推しました。苦しい局面を眺めているのはキツイです。前向きな展開が望めない中、長期戦を目指す一手が▲7一飛の攻め合いにつながり、結果的には勝利を呼び込むことになりました」

 ―藤井三冠は鋭さや鮮やかさのみならず、最近は『耐える好手』も目立ちます。

 「周りの人には気付けない、藤井さんにしか気付いていない成長があるように思います。強い相手ばかりと戦って高勝率を保つのは成長がないとできることではありません。藤井さんの終盤の強さは語り尽くされていることですけど、今は『辛抱の下ごしらえ』が強いです。永瀬拓矢さんとの挑戦者決定戦三番勝負も本局もそうですけど、万全で臨んだ先手番でも悪くなることはあります。竜王戦という舞台ですから、どんな人でも力は入ります。本局もどこか空転した部分はあったのではないでしょうか。苦しかったと思います」

 ―第2局以降への期待は。

 「王位戦でも叡王戦でも本局でも分かるように、お二人は一局一局が微差ですからね。スコアも競っていくと思います。どうなるかはやってみないと分からない、といったところでしょうか」

 ―島さんは1988年度の第1期竜王戦で米長邦雄永世棋聖との初めての決勝七番勝負を4勝0敗で制し、初代竜王に就きました。翌年度は19歳の羽生善治六段を挑戦者に迎え、第8局に至る激闘の末に羽生さんが初めてのタイトルを得た。26歳で19歳の若者を迎え撃った構図は、31歳の豊島さんに19歳の藤井さんが挑戦している今期を思わせます。

 「いやいやいやいや! 豊島さんは6度もタイトルを重ねているトップ棋士ですから、あの時が初タイトルだった自分とは全く違います。自分は勝率的にも厳しかったですから…。もう30年以上も前の話になりますけど、棋界全体でも将棋へのアプローチ、序盤の完成度などは大きく変わりました。羽生さんはとても強かったんですけど、まだまだ荒っぽいところはありましたよ。あの時代ならではの魅力というのもありましたし、今は逆に、環境面で差をつけられない中でトップで居続けなくてはならない厳しさがあります。でも、盤上の真理を追究することは時代が変わっても何ら変わることはありません」

 ―第1期竜王戦の決勝トーナメントで羽生さんと対戦する前、1週間誰とも話さないくらい没入して、あの一局に賭けたとかつて話していただきました。

 「私はまだ25歳でしたけど、羽生さんに勝てる最後のチャンスだと思っていました。羽生さんがやってくるのは時代の必然でしたから、ある意味では羽生さんに勝つことは最終目標だったんです。棋士の格付けは早く決まるものです。25歳の自分にはもう余裕なんて全くなくて、もう先は長くないと思っていたのにタイトル戦には出られていなくて、本当に『夢舞台』だったんです。高橋道雄さんら同期のメンバーがタイトルを取っていたので自分にもチャンスはあるんじゃないかなあ…とは思っていた時にできた新棋戦が竜王戦でした。棋戦のシステムも新しくて、とても取ろうと思って取れるものじゃないなと思いながらも…」

 ―そして羽生さんに勝ち、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人にも勝って、米長邦雄永世棋聖との七番勝負では4連勝と圧倒して頂点を極めました。

 「もちろん嬉しさもありましたけど、当惑していました。自分より強い棋士が多くいたので、いいのかな…という感じがあって。もちろん栄誉のあることでしたし、肩書の有難味は後の人生において非常に助けられたかもしれません。他棋戦でも頑張れるようになって、40歳になるくらいまではあの自信を得たことは大きかったと思います。次の年に羽生さんと指した時は、もちろん勝ちたいという気持ちと、もうこれ以上のことはないんだと満たされていた部分もあって。本当の覇気は消えていて、今にして思えば負けて当然だったのかもしれませんが、自分には居心地が悪かったので、しかるべき方に手渡すことができたという思いはありました。負けてしっくりきたというのが本当のところです。羽生さんもまだ初々しかったですよ。最終局の1日目はぎこちなくて、彼も緊張するんだなあ、なんて人ごとのように感じていました」

 ―米長永世棋聖との七番勝負に和服ではなくアルマーニのスーツで臨んだことはあまりにも有名です。

 「もちろん、当時の私も対局室には和服の方が合っていると思っていました。でも着付けも満足にできないハンディを抱えて指すのは嫌だったんです。ならば、失礼にならないように良いものを着ようと。『新人類』なんて当時言われて、あまり良い意味では使われていなかったと思いますよね。アルマーニなんて一着しか持っていないのに、バブルの時代でしたから報道が先走るところもありましたけど、あえて訂正はしませんでした。それにイタリア製のスーツはソフトすぎて対局に合わなくて(笑)。正座するとクシャクシャになっちゃって、なんて非実用的なんだと(笑)。でも、アルマーニを着て対局している若手がいる、ということを他の世界に示すことで、棋界に新しい風が吹いていることをPRする一助になればとも思いました。だったら、道化になるのもいいかと。当時、対局室にカメラが入らない時代でしたから、棋士の服装なんて誰にも分からなかったんです」

 ―将棋界を取り巻く環境は時代とともに大きく変わりました。

 「今は全てを裸にされて解明されてしまいますど、昔は謎の多い神秘性のようなものが勝負に影響していました。そして、時代に即したスターが出てくるんですよね。羽生さんが現れ、そして藤井さんが登場したわけですから」

 ◆島 朗(しま・あきら)1963年2月19日、東京都世田谷区生まれ。58歳。高柳敏夫名誉九段門下。80年、17歳で四段昇段。88年、初代竜王。94年、順位戦A級昇級、計9期。竜王戦1組以上計12期。2013~17年、日本将棋連盟常務理事。18年、将棋栄誉敢闘賞(通算800勝)受賞。タイトル戦登場6期、獲得1期。棋戦優勝3回。80年代、羽生善治、森内俊之、佐藤康光との「島研」は現代将棋の礎を築いた研究会として知られる。棋界随一の文筆家でもあり「角換わり腰掛け銀研究」「島ノート」など定跡書の名著のみならず、羽生世代との交流を描いたエッセイ「純粋なるもの」や観戦記などで知られる。

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