【ドラフトの記憶】大谷翔平 高い意識は高校時代から 投球フォームを参考にしていたレジェンドとは

スポーツ報知
メジャーリーグ挑戦を表明する花巻東・大谷翔平投手

 ドラフト史に残る衝撃と驚きを受けた、まさに「運命の一日」だった。2012年10月25日。日本ハムが1位で、メジャー挑戦を表明していた160キロ右腕・大谷翔平投手(花巻東3年)を単独指名した。「その年のナンバー1選手を指名する」という方針を貫き、前年の東海大・菅野智之投手に続く強行指名。会社内のテレビでドラフトを見守っていた記者は「やはり来たか」と思わずつぶやいた。その後、栗山英樹監督、山田正雄GM、大渕隆スカウトディレクターらが1か月以上に渡って粘り強く交渉。「大谷翔平君 夢への道しるべ ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」と題した資料も作成して早期挑戦のリスクを説明。二刀流の育成プランも説明し、サプライズ入団にこぎつけた。

 当時の大谷は怪物級のドラフトの目玉だった。この選手は10年後、20年後に一体どんなキャリアを描いているのか。アマチュア野球担当記者として、最も大きな可能性を感じた選手だった。右投左打。高校通算56本塁打、身長193センチ、86キロの高校生歴代最速の160キロ右腕。快足も兼ね備えて試合のたびに、漫画やテレビゲームの主人公のような二刀流の活躍を見せて野手か、投手か。当時、各球団の評価は割れていた。練習試合では外野手としても出場し、全国の甲子園常連校を相手に右翼だけで無く左翼、中越えにも140M越えの特大弾を連発していた。

 当時の広島・苑田聡彦スカウト部長は「うちは打者としては過去最大の評価です。左にも大きな打球を打てるし、まだまだ伸びしろも大きい。打球を飛ばす能力は王貞治さんクラスですよ」と話してくれた。また、この年はドラフト候補に「浪速のダルビッシュ」と呼ばれた大阪桐蔭・藤浪晋太郎ら長身の速球派右腕が多く、大谷も「岩手のダルビッシュ」「みちのくのダル」と呼ばれた。本家のダルビッシュ有投手も担当した、日本ハムの今成泰章スカウト(当時)からは「彼こそが真のダルビッシュ2世だね。球速だけでなく、体のしなやかさ、器用さも持っている」と投手としての将来性の高さについて伺った記憶が残っている。

 ドジャースの小島圭市スカウト(当時)は、高校入学後からいち早く大谷の才能を評価して密着マーク。投手としても、打者としても規格外のスケールで成長を続ける逸材の高校卒業後、即渡米してのメジャーデビューにも太鼓判を押していた。

 花巻高3年時には、練習試合などに他のメジャー球団のGMらもはるばる海を渡って視察に訪れ、アマチュア野球担当としては異例のメジャー球団関係者の顔と名前の確認に、悪戦苦闘していたことも覚えている。9月に大谷がプロ志望届を提出後、ドジャース、レッドソックス、レンジャーズと面談。記者もその動向を追い、秋風吹く岩手に大谷詣に何度も出かけた。そして10月のドラフト会議の4日前。大谷自身は高校卒業後のメジャー挑戦を表明した。「まだそういうレベルの選手じゃないことはわかっている。なるべく早くメジャーでプレーしたい」と夢を追う覚悟を口にした。国内のプロを経ての挑戦を勧めた両親や周囲の意向を押し切った形だった。

 担当記者として忘れられない一戦がある。12年7月19日。夏の岩手県大会準決勝花巻東―一関学院戦だ。花巻東が7点リードの6回2死二、三塁。投手として先発した最速156キロ右腕の大谷は真っ向勝負に出た。157、154、159、157キロと力のこもった真っ直ぐを5球続け、球場内のボルテージは最高潮に達した。そしてフルカウントからの6球目。セットポジションから投じた左打者の内角低めへの糸を引く直球は、大谷が追いかけてきた夢の大台を掲示し、浮き上がるように捕手のミットへ。岩手県営球場のスピードガンで高校生初の160キロを計測し、ピンチを見逃し三振で切り抜けた背番号1は「しゃーっ!」と右手でグラブをたたき、雄叫びを上げてマウンドを駆け下りた。真夏の熱気に包まれていた球場内に、どよめきと大喝采がこだました。

 ネット裏でスカウト取材をしながらその球を見守った記者も、計り知れない底力に腰を抜かした。この試合全99球中、40球が150キロ越え。7回3安打、毎回の13奪三振の力投で9―1で勝ち、決勝進出を果たした。

 その一球を見た時に思い出した言葉があった。同年のセンバツ甲子園前。岩手・花巻東高に大谷のインタビュー取材に訪れた。そこで聞いた一言と意識の高さに驚かされた。高校入学後、メジャー通算354勝のレジェンド右腕ロジャー・クレメンスの投球フォームを手本にしてきたというのだ。毎日、何度も動画を見て研究。「球離れの瞬間がきれいで日本人に近い。球持ちもいい」。160キロ超の直球で「ロケット」の異名を誇ったメジャー歴代屈指の剛腕だ。スプリット、スライダー、カーブと球種も大谷と重なり、歴代最多7度、年間最優秀投手に贈られる「サイ・ヤング賞」受賞に、19度の2ケタ勝利と息の長い活躍を誇った。当時から向上心の塊だった大谷の視線は、既に日本一を飛び越え、世界一の投手になるためにクレメンスへと向けられていたのだ。

 あの熱い夏から9年。「SHOHEI OHTANI」は世界一有名な野球選手の一人となった。今年のメジャーリーグ・エンゼルスでの活躍を見ていると、高校時代に見ていたプレーをそのままメジャー舞台でも続けている印象を受けている。それがいかに難しいことなのか。体をいい状態に保ち、はるかにレベルの高い世界最高峰の選手たちと対峙(じ)する。打者と投手としての二刀流の準備に割く時間と労力を考えると、想像を絶する。

 それでも、球場内で見せるあの屈託のない笑顔だけは変わっていない。野球を心から楽しめているのは少年の頃から同じなのだろう。高校卒業後、日本ハム入りせずに直接メジャー入りしていたら、果たしてどんな成績を残していたのか―。高校2年の春に左股関節の骨端線(こったんせん)損傷を負うなど、体と成長が大きすぎるがゆえに下半身がまだ安定せず、高校時代は投手としてはまだまだ荒削りな印象だった。打者としてはまだしも、投手としての成功はどうだったか、と記者は何度も一人物思いにふけったことがある。

 でも…。今年は投げては9勝を挙げて156奪三振、自己最多の年間46本塁打を放った。今の二刀流での大成功を見ると、そんなことは考えるだけ野暮なのかもしれないと思う。憧れていたクレメンスとも並ぶ、世界最高峰メジャーリーグのMVP最有力候補となっているのだから。まだ27歳。来年は打者としてはホームラン王、投手としてはサイ・ヤング賞。史上初の夢のダブル受賞だって、現実のものにしてくれるかもしれない。それができるとしたらきっと大谷以外にはいない、とも思ってしまう。(2010~12年アマチュア野球担当・榎本 友一)

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