【ドラフトの記憶】書けなかった巨人ドラフト1位 痛感したスクープ取材の面白さと難しさ

スポーツ報知
巨人1位指名の三野勝大は加藤スカウトらのあいさつを受けた後、長嶋茂雄監督の人形に「よろしくお願いします」(1993年11月22日・仙台市内の東北福祉大で)

 ほろ苦い思い出が今でもよみがえる。1993年のドラフト。この年から「逆指名制度」が導入され、大学・社会人に各球団2人まで希望の球団を逆指名する権利が与えられた。

 これにより、ドラフト当日の指名は単なる儀式となり、各球団はそれまでにいかに有望な選手から逆指名を得られるかが勝負になった。

 アマチュア野球担当記者としても、誰がどの球団を選ぶのかを取材し、いち早く記事にすることが使命に。特に巨人の指名選手の報道では他紙に負けるわけにはいかなかった。

 人気球団に有利と思われた逆指名制度だが、巨人は苦戦を強いられた。この年、最も注目されたのは投手で大学NO1左腕の河原隆一(関東学院大)、野手では92年バルセロナ五輪の日本代表に大学生で唯一選出された小久保裕紀(青学大)だった。巨人もこの2人の獲得を目指したが、河原は横浜(現DeNA)、小久保はダイエー(現ソフトバンク)を逆指名。他にも関根裕之投手(東北福祉大)は日本ハム、渡辺秀一投手(神奈川大)もダイエー、と注目選手の進路が続々と決まっていく中、巨人は2位で大学NO1捕手・柳沢裕一(明大)の逆指名にこぎつけたものの、1位がなかなか決まらなかった。

 そんな中、明治神宮大会に出場するため上京していた東北福祉大の伊藤義博監督と都内の宿舎で雑談していた時に、ポツリとひと言ヒントをくれた。関根と並ぶ2枚看板で、広島か近鉄の2択と言われていた三野勝大投手について「もう1球団参戦してきたんですよね。これから会うんです」。もちろん球団名は明かしてくれなかったが、それが巨人であろうことはすぐに推測できた。

 宿舎を出ても会社には戻らず、そのまま近くの街角に立ったまま、ひたすら待った。やがて待ち望んでいた人物がやってきた。顔なじみの巨人のスカウトだ。驚いた表情で「こんなところで何やっているんだ?」と聞いてきた質問には答えず「三野ですよね?いい投手ですよ。獲りましょう!」と言うと、すべてを察したのか近くの喫茶店に連れていかれ「まだ決まったわけではないので記事にしないでほしい」と依頼された。

 会社に戻ってデスクに経緯を説明すると、最初は短く記事にするように言われたが、巨人担当キャップにも確認の上、「いいタイミングで書いてもらうから、それまで待ってくれ」と言われ、従った。そして待った。

 数日後、他のスポーツ紙の1面にデカデカと「三野巨人」の文字が躍った。他社の記者も取材を続けており、突き止める社があっても仕方なかった。ただ、元々は広島と近鉄が先行していただけに「巨人が強奪した」というトーンで書かれたことに、東北福祉大の関係者から「こんなことなら報知さんにキチンと書いてもらえばよかった」と言われた。また巨人担当キャップから「申し訳なかったな」とねぎらいの言葉をもらったことで気持ちが救われた。

 「やれるだけのことはやった」という充実感と、結果として他社のニュースになった無念さ。まだ担当になったばかりの新米記者だったが、抜いた、抜かれたの競争を繰り広げる新聞記者の世界に自分も身を置くことで、この仕事の面白さと難しさが少し分かった気がした。(1992~94年アマチュア野球担当・皆川 泰祐)

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