【ドラフトの記憶】巨人の「本命」だった田中将大…駒苫関係者から担当スカウトへ放たれた一言とは

スポーツ報知
楽天に1巡目で指名された駒大苫小牧の田中将大。チームメートの祝福にガッツポーズで喜ぶ

 高校関係者は訪れた巨人の担当スカウトへ、去り際にこう声をかけた。

 「将大は巨人ファンでした」

 将大とは当時、駒大苫小牧の田中将大(現楽天)。2006年の高校生ドラフトで巨人は事前に愛工大名電・堂上直倫(現中日)の1巡目指名を決めた。もちろん田中も最後まで候補に上がっていたが、野手で1番評価が高かった堂上を指名することになった。田中を指名できない旨を伝えに行った際の様子を、後になって担当スカウトから聞いた話だ。

 もちろん、田中本人や関係者が意中の球団を公にしたことはない。むしろ発言には十分すぎるほど気を付けて「12球団OK」の姿勢を貫いていた。当時、大学生と社会人には希望球団に入れる希望枠制度がありながら、高卒で即プロ入りしたのだから本人は入る球団にこだわりはなかった。早くプロに入りたかった。冒頭の学校関係者の言葉は、せめてファンだった球団に指名をしてほしかったという親心だったのかもしれない。

 田中はこの年のドラフトの中心だった。前年夏の甲子園で2年生として駒大苫小牧の連覇に貢献。新チームになっても秋の北海道大会を勝ち上がり、出場した明治神宮大会では150キロの直球に加え、「消える」と言われた高速スライダーを武器に4試合28回3分の2を2失点、47奪三振。圧倒的な投球で優勝した。その活躍ぶりに各球団は早くもドラフト1巡目での指名を検討。巨人も11月23日の時点で1巡目での指名を決めたと報じられた。

 だが、ドラフトイヤーとなる翌年。出場が決まっていた春のセンバツ大会を卒業生の不祥事という形で出場辞退すると、春以降、田中の調子が上がってこなかった。夏の甲子園には出場したものの体調不良も重なり、前年秋のような投球は見られない。その原因を取材すると、センバツを出場辞退に追い込まれ監督が辞任する中、まともな練習ができない期間が続いたという。投球フォームのバランスが崩れたまま、夏の終わりまで迎えてしまったということだった。

 ドラフトへ向け田中一色だったトーンも変わり始める。高校生に人材が豊作だったということもあり、他の投手へ乗り換える球団も多数出た。巨人は最後まで田中への高い評価は変わらなかった。しかし、チームの現状を見ると内野手の高齢化という現実にぶち当たる。さらに堂上という超高校級の野手も台頭してきていた。

 「投手なら田中、野手なら堂上」という方針の中、最後はチーム事情が優先され指名を堂上に一本化された。

 結局、田中は横浜(現DeNA)、楽天、オリックス、日本ハムの競合の末、楽天が交渉権を獲得した。約1年前の投球から考えれば競合が4球団というのは少ないかもしれない。田中が今までで一番の不振がドラフト前に来てしまったこと、その原因の1つがセンバツ辞退につながった不祥事によるところだと考えるといたたまれない。

 巨人は堂上を阪神、中日との競合の末、外したが、外れ1巡目でやはり大型内野手だった坂本勇人を獲得した。

 冒頭の言葉をかけられた時、巨人担当スカウトはやはりつらかったと言っていた。1年以上追いかけ、それでも指名できないさみしさもある。田中は楽天に入団後は皆さんもご承知のように日米をまたにかけ180勝以上をあげる大投手になった。巨人に入団した坂本も2000安打を達成する日本を代表する打者になった。

 田中のいち早くプロに行った決断も、巨人の投手より野手を優先させた決断も間違いではなかった。(2005、06年アマチュア野球担当・鳥海 崇)

 ◆2006年の高校生ドラフト 1巡目指名は入札。抽選で外れた場合は外れた球団のうちドラフト開催1週間前の時点でのセの最下位チームからのウェイバー順での指名となった。田中、堂上の他は広島が前田健太(PL学園)を単独指名。ヤクルト、西武が増渕竜義(鷲宮)に入札しヤクルトが交渉権を獲得。ロッテとソフトバンクが大嶺祐太(八重山商工)を指名し、ロッテが獲得した。外れた球団は横浜が北篤(小松工)、オリックス・延江大輔(瀬戸内)、ソフトバンク・福田秀平(多摩大聖ケ丘)、阪神・野原将志(長崎日大)、西武・木村文和(埼玉栄)、日本ハム・吉川光夫(広陵)を指名。その他の指名選手に梶谷隆幸(横浜3巡目=開星)、会沢翼(広島3巡目=水戸短大付)、福田永将(中日3巡目=横浜)

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