藤波辰爾「50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」<13>長州力、坂口征二との初対決

スポーツ報知
藤波辰爾

 プロレス界のレジェンド藤波辰爾(67)が今年、デビュー50周年を迎えた。16歳で日本プロレスに入門し、1971年5月9日に岐阜市民センターでの新海弘勝戦でデビュー。一度も引退せずトップレスラーとして今もリングに立つ藤波は「THE NEVER GIVE UP TOUR」と銘打つ50周年ツアーの第一弾を10月31日に大阪・南港ATCホール、11月9日に後楽園ホールで行う。スポーツ報知では半世紀に渡る数々の名勝負を藤波に取材。「藤波辰爾、50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」と題し、毎週金曜日に連載する。また、今回の連載はデビュー50周年プロジェクト「IMAGINATION PROJECT」と連動し「ドラディション」公式You Tubeチャンネル「DRADITION TV」で藤波が名勝負を振り返るインタビュー動画を配信する。13回目は「長州力、坂口征二との初対決」。

 凱旋2シリーズ目となった「MSGシリーズ」では、後に最大のライバルとなった長州力との初対決も実現した。試合は1978年5月18日、山形県の酒田市体育館で行われ、13分29秒、回転足折り固めで藤波が勝利した。

 「長州と初対決もこのシリーズだったんだね? 正直、試合そのものはあまり印象にないです」

 長州は専大レスリング部時代に1972年のミュンヘン五輪に出場するなど、高い実績を引っさげて、1973年12月に新日本に入団した。

 「彼は鳴り物入りで新日本に入って、若手の1人だった僕とは待遇もかけ離れていた。ただ、このころは、僕もカール・ゴッチさんの指導を仰ぎ、チャンピオンになって、これは長州だけでなく誰が相手でも気後れすることはなかった。どんな試合でもとにかく、ゴッチさんから教えられた技術をベースに相手より早く動く、ペースを握ることを考えて試合をやっていました。恐らく長州との初対決もそんな内容だったんじゃないかな」

 上田馬之助、長州と闘った「MSGシリーズ」。5月23日の静岡県浜松市体育館ではナンバー2の坂口征二との初対決も実現した。結果は、リングアウトで藤波が敗れた。柔道日本一の実績を引っさげ、1967年に日本プロレスに入団した坂口。当時、道場で一緒に練習をしたことがあった。

 「日本プロレス時代も坂口さんの練習相手になったことあってね。その時は投げられ、ボディスラムでたたきつけられて、そのパワーのすごさに驚いた」

 その後、坂口は日プロを退団し新日本プロレスに1973年3月に入団。猪木に続くナンバー2として人気、実力を兼ね備えていた。初対決で藤波は身長196センチ、体重130キロの巨体が強烈な印象として残っていた。

 「坂口さんと初めて対戦した時は、向かいあった時、とにかくデカいということ(苦笑)。当時の選手は、ほとんどが僕よりデカいんだけど、坂口さんは特別。身長は196センチって言われていたけど、実際は、2メートルあったはず。そのデカさを実感したのがロックアップした時。普通の選手なら同じ高さになるんだけど、坂口さんと組んだ時は、その位置が違った。何しろ高くて、上から組まれるとこっちは余分な力を使うから苦労しました(苦笑)。通常、僕のやっている技が坂口さんには通用しない。飛ぶか、蹴るか、奇襲攻撃か。とにかくバランスを崩して倒すしかなかった。しかも倒したところで、足が太くてね。あのデカさは半端なかった」

 初対決以降、何度も坂口とはシングル、タッグで対戦したがリング上で、そんな破格のパワーを実感する忘れられない技があった。

 「僕がヘッドロックを取ったら、坂口さんにそのまま持ち上げられてリングの端から端まで投げられたことがあってね(笑)。お客さんはそういうシーンが喜んでいたけど、あれは、すごいパワーだった」

 坂口は当時、リングを離れるとフロントでも副社長として猪木、そして会社を支えた。

 「フロントとしての坂口さんも猪木さんをフォローする姿はリング上と同じだった。坂口さんが新日本の土台を作ったと言っても過言じゃないと思う。社外からの信用も高くて、それが後に坂口さんが社長になった時も生きた」

(続く)

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