白鵬 銭湯でもサインする角界随一のファンサービス、尽きない勝利への執念…担当記者が見た素顔

スポーツ報知
笑顔で子供相撲に興じる白鵬(左)

 大相撲の第69代横綱・白鵬(36)=宮城野=が1日、現役を引退して、年寄・間垣を襲名した。史上最多45回の優勝を誇る第一人者が約20年に及ぶ力士生活に終止符を打った。引退を決断するまでの苦悩と、現役時代に見せた勝負への執念、土俵外での優しさ―。大横綱の素顔を紹介する。

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 昨年に白鵬(現・間垣親方)と話す機会があった。その時、口にした言葉が、ずっと頭に残っていた。「優勝して辞めたい」。横綱の胸の内にあった復活への強い覚悟だった。そして迎えた今年7月、6場所連続の休場明けの名古屋場所で全勝V。優勝インタビューでは秋場所への意欲も示していたが、古傷の右膝は限界だった。「満足に稽古できないから不安がある」。自ら悟った限界。1日の引退会見では既に10日目に引退を決めていたと語った。奇跡のような15日間。まさに完全燃焼だった。

 実は右膝を手術して休場した夏場所前の5月、白鵬は紗代子夫人や親友から、こう声をかけられていたという。

 「もう十分やった」「辞めてもいいんじゃない」

 だが、師匠・宮城野親方とも話し合った白鵬の答えは「もう一度、最後まで相撲を取る」だった。ただ土俵に上がるだけでは意味がない。周囲を納得させる強さを取り戻さないといけないと、稽古以外に筋トレにも精を出した。顔を真っ赤にしながら、100キロ以上のベンチプレスを上げるなど36歳の肉体にムチを打ち、つかんだのが、誰もが予想できなかった名古屋での復活劇だった。

 現役終盤は、けがと品格への批判と向き合う日々が続いた。そんな中で、なぜ引退を選ばないのか聞いたことがある。「マラソンの瀬古(利彦)さんの話で、瀬古さんは苦しいとき次の電柱まで、そこを越えたら次の電柱までと考えながら走っていたんだって。私も同じだと思った。ひとつ記録を達成すると次の記録、次の記録となるんです」。記録への挑戦こそが、36歳まで綱を張れた原動力だった。

 勝負への執念から時に見せる荒々しい相撲で評価を落としたことは残念だが、土俵を下りれば誰よりファンを大切にした。新横綱で迎えた2007年名古屋場所前。白鵬は宿舎近くの小さな銭湯に向かった。目を丸くする入浴客も気にせず汗を流すと、脱衣所で待っていたのは老人や子供たち。番台で急きょ買ったタオルと、借りたであろうペンを手にサインを求めた。白鵬は腰に小さなタオルを巻いただけで裸同然。付け人も不在で断ることもできたが「いいですよ」と笑い、はだけそうなタオルを気にせずすらすらとペンを走らせた。

 初の綱取りに挑み重圧と戦っていた2006年名古屋場所千秋楽には、炎天下の中、約1時間かけて約100人のサインと記念撮影に応じたこともあった。「ファンと触れ合うと力をもらえる。それに、その人と会う機会は一生に一度かもしれないから」。巡業では、付け人の制止も構わず、時間の許す限りサインに応じる姿はおなじみだ。

 「相撲への恩返し」と始め、これまで10回を数える「白鵬杯 世界少年相撲大会」。現在こそスポンサーが付いたが、第1回から数回は自身の懸賞金を積み立て開催資金に充てた。関係者によれば、1回の出費は約1000万~1500万円だったという。「子供たちは宝ですから」。参加者の中から幕内・阿武咲が、角界入りするなど底辺拡大に尽力してきた。ちびっ子を見る目はいつも温かく、優しかった。

 優勝40回を超えた時期に、憧れの横綱・双葉山と並ぶV12達成時の話になった。その時、白鵬がつぶやいた。「この時に引退すれば、いい横綱と言われたかな?」。強気な性格に見えるが、実は周りを気にするタイプ。笑ってごまかしていたが、さみしそうな目は印象的だった。

 対戦相手が「スライムのよう」と称する天性の柔らかい体に甘えず、若い頃から引退まで、とにかく基礎運動を大切にした。稽古中は1時間以上かけて四股、てっぽうなどで汗を流して土台を保ってきた。どんな若手よりも基礎に時間を割いたと言ってもいい。また、空き時間があれば、名横綱である双葉山、大鵬、千代の富士らの映像を見て技術を盗んだ。時には柔道の五輪金メダリスト・古賀稔彦さんの映像からもヒントを得ていた。精神を鍛える滝行、心身をリセットするため力士では異例の断食も取り入れた。「とにかく相撲が好きなんです」。向上心という言葉が似合う約20年の土俵人生だった。(運動第二部デスク=2005~09、13年大相撲担当・斎藤成俊)

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