EXILE橘ケンチ、時期が来たらオリジナルメンバーと20周年ライブを…スペシャルインタビュー1

橘ケンチ(カメラ・矢口 亨)
橘ケンチ(カメラ・矢口 亨)

 2001年9月27日に「Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」でメジャーデビューしたダンス&ボーカルグループのEXILEが、来週にデビュー20周年を迎える。09年からパフォーマーとして加入した橘ケンチ(41)は「ファンの方と一緒に20周年を祝いたかったが、今の状況では仕方がない。時期が来たらオリジナルメンバーを入れてライブをしたい」と、コロナ禍で迎えた節目に悔しさを見せながらも前を見据えた。EXILEに入った当時の思い出話を始め、最後のオリジナルメンバー・ATSUSHI(41)の卒業、リーダーのAKIRA(40)との不思議な縁。そしてライフワークとなっている日本酒造りの話なども聞いた。(ペン・国分 敦、カメラ・矢口 亨)

 本来なら20周年を祝うツアーやイベントが盛大に行われるはずだったが、コロナ禍で叶わなかった。無念をにじませながらも、イベント自粛はスーパーグループ故の結果と真摯(しんし)に受け止めている。

 「2020年は2月まではライブができてたんですけど、2月26日の大阪公演ですね。その日に急きょ中止を発表して、そこから1年ほどライブができない状態でした。当初はエンタメ業界だけじゃなく、日本のすべての方が世の中の大転換というのに戸惑っていましたが、正直いうと『ちょっとたてばイベントとかもできるんじゃないか』って甘い考えもありました。ただ、過ごしていくうちに『けっこう長引くな」って。もちろん、やりたい気持ちもありましたが、これだけ長くやっているグループだと社会的にも影響が大きいし、EXILEがライブを再開した場合、それがポジティブな方向に世論が変わっていくタイミングを考えるようになりました」

 ―それにしても長い期間ライブができなかった。

 「僕らのライブって規模も大きいじゃないですか。もうちょっと小さいサイズだったら『自分たちだけでやろうぜ』って、周りを巻き込んでやれちゃうこともあるんですが、大きな規模になるとそこに降りかかる責任や、その後の余波は比例して大きくなってきますからね。社会と自分たちの今の現状を冷静に分析しながら対応していく作業を、この1年間ずっと考えていたような気がします。ある意味、ちょっとタフになりました。『絶対やるんだ』とか思って始める事も大事なんですけど、それができなくなっても切り替えが早くなったというか…。いつまでもそこにしがみついているより、先に行って反省して学んだ方がいい。そんな生き方が身について来たと思います」

 20周年ではHIROを筆頭にMAKIDAI、MATSU(松本利夫)、USAといった先輩と共演するのが夢だった。それは今も諦めてはいないようだ。

 「やっぱりオリジナルメンバーの方と盛大にお祝いしたいのは一番大きいです。EXILEがデビューした時、自分はまだダンサーでEXILEに憧れていた側で、僕と同じ目線で見ていた方ってたくさんいると思います。EXILEは僕やメンバーのモノでもなく、応援してくれる皆さんのモノ。20年応援して下さった方々と一緒にお祝いするタイミングを、この1年で見つけていきたいと思っています」

 EXILEと初めて共演したのは04年9月、主演舞台「HEART of GOLD」のサポートメンバーに抜擢された時だ。以来、EXILEは人生のお手本になっているという。

 「つい先日、白金の方に行く仕事があって、高輪台の駅前を通ったんですよ。そこにEXILEと一緒に仕事をさせてもらったミュージカルのリハーサルのスタジオがあって『あ~、あそこだ』って懐かしくなりました。スタジオの感じも、そこにいるメンバーの立ち居振る舞いも鮮明に覚えています。それが04年だからもう17年前か~。僕はEXILEが大きくなると同時に、LDHという大きな会社になっていく過程をリアルタイムで見させてもらっています。それが自分のネクストのキャリアにも生かされていて『あの時にEXILEはこうだったから、今はこういうタイミングか』って自分に置き換えることができる。EXILEはエンタメやビジネス、道徳に関してもロールモデルになっています」

 ―EXILEとして最初の仕事を覚えているか。

 「え~と、何だったかな。ただ鮮明に覚えているのは、アルバムの年間セールスの表彰イベントです。EXILEがこの1年で一番売ったアーティストとして表彰されたんですが、僕らは入ったばかりでアルバムの売り上げにはまったく貢献していないので、壇上にいながら『なんで自分がここにいるんだろうな』って感覚になったのは覚えています。加入して3、4日目のことなんで、二代目JSBのメンバーみんな、そう思っていたはずですよ」

 ―もしEXILEに入ってなかったら何をしていた。

 「2パターンあって、大学で学んだ流れでのエンジニア。もう一つは世界中をプラプラ旅しながら好きなことをやって放浪しているとか。世界でいろんな体験をしたい欲が強いし、様々な文化と接してみたいっていうのはありますよね。その時にダンスが一つの武器として使えるならいいとは思いますが、USAさんのようにダンスを世界に広めるとか、そこまで自分はダンスに向き合えないと思います」

 USAの両親が経営する居酒屋・まるちょんでバイトをしていたが。

 「はい、バイトしていました。僕と(黒木)啓司が。すごくお世話になりました。店に行ってタイムカード押して、賄い食べて働き出そうと思ったら、会社から急きょ呼ばれて『パパ、ちょっと行ってきます』って。そういうの、よくありました。パパもママ(USAの両親)もその辺りはすごく理解していただいてました。お2人ともさばけていて、USAさんが小さい時に家に帰ったら、パパがクラブで知り合った外国人を普通に家に泊めていたっていうのもあったそうです。その当時はTETSUYA含めて3人でEXPGのインストラクターもしていたので、まあまあ生活できましたが、学生時代はけっこうカツカツでしたね。実家だったんですが、バイトしてダンスのレッスン代を稼いで、それでもって毎晩クラブに行く。そういう生活をずっとしていましたから」<2>へつづく。

 ◆橘 ケンチ(たちばな・けんち)本名・寺辻健一郎。1979年9月28日、神奈川・横浜市生まれ、横須賀市育ち。41歳。明大理工学部電気電子工学科卒業。在学中にダンスチームに所属し、2007年新生(二代目)J Soul Brothersのメンバーに。09年3月1日にEXILE新メンバーとして加入。EXILE THE SECONDとしても活躍。11年に日テレ系「ろくでなしBLUES」でドラマデビュー。16年から日本酒の魅力を発信する「SAKE PROJECT」を設立。読書家としても有名で数々のイベントも手掛ける。180センチ、72キロ。血液型O。

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