ジャイアント馬場とアントニオ猪木  殿堂への道にあった「1杯のそば」

腕相撲するジャイアント馬場㊧とアントニオ猪木
腕相撲するジャイアント馬場㊧とアントニオ猪木

 最近のスポーツ関係ニュースで小躍りするようなことが2つあった。一つはプロボクシングWBO世界フライ級王者・中谷潤人(M・T)が日本人で初めて米国で初防衛に成功したこと。もう一つが、日本プロレス史上初の殿堂入り受賞者が発表され、故ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さん、故ジャンボ鶴田さん、藤波辰爾さん、長州力さん、天龍源一郎さんの6人が名を連ねたことだ。

 6人の名前が並んでいるのを見て、胸が高まった。30年以上も前の駆け出し記者の頃、取材で6人には何度もお世話になり、今でも当時のことを一つ一つ、鮮明に覚えている。中でも、報知に移って間もない頃に行った馬場さんのインタビュー企画が忘れられない。

 サイド記事として、馬場さんについて誰かに語ってもらうことを考えたが、真っ先に浮かんだのが猪木さんだった。馬場さんは全日本プロレス社長、猪木さんは新日本プロレス会長としてそれぞれの団体を現役レスラーとして引っ張っていた。当時、馬場さんに猪木さんのことを、猪木さんに馬場さんのことを直接聞くのは“タブー”みたいな雰囲気があって、はばかられたが、同一紙面で2人の思いを掲載したくなった。

 新人の頃から何度も遠征について行って、馬場さんや猪木さんを取材したが、お互いのことなど聞いたことがない。怒られるのを覚悟で恐る恐る「猪木さんについて…」「馬場さんについて…」と切り出すと、2人は怒るどころか、それぞれ「求めているものは違うけど、彼のことは認めている」と言った。くしくも、馬場さん、猪木さんから期せずして同じ言葉が出た!

 当時の取材メモを見てみると、馬場さんは「ライバルと言われるけど、お互いのスタイルが違うからね。でも、それぞれがそのことを分かっていた。僕というライバルがいたからこそ、今の猪木があるし、それは僕にも言えることさ。一緒にタッグを組んでいたなんて、感慨深いものがあるよ」と言い、猪木さんは「馬場さんは、僕には欠かせない存在だ。よく、2人は仲が悪いんじゃないかと言われるけど、お互いの価値観が違うだけで、お互いの立場は認め合っている。世に出るためには、ライバルが居なくてはダメだ。励みにもなったし、傷つけ合ったこともある。でも、2人にしか分からない関係。素晴らしい関係さ」と話してくれた。ファンならば、BI砲がこういう思いを持っていたなんて知ると、たとえ建前的なことだとしても、グッとくる。

 もちろん、その時もライバル心はメラメラで、馬場さんは「猪木とは18回闘って一度も負けていない」とニヤリ。「それでも、猪木は『俺の方が先輩』という意識があったみたい。入門した日は同じと言われているけど、僕が力道山先生にあいさつに行った時、先生の横にいたからね。『こんな後輩には負けられない』という気持ちがあっただろうし、これは彼の素晴らしいところだ」

 猪木さんにはその時、東京・世田谷区の道場にいる時に話をうかがったのだが、猪木さんはブリッジをしながら、遠い目で感慨深げにこう言った。「人形町に練習場があって、きついトレーニングの後に、そば屋に入って、お互いのポケットの中のお金を計算し合って、1杯のそばをすすり合ったこともあった。夏には1杯の氷水を分け合ったよ」。

 2人は1960年9月30日、台東体育館でそろってプロレスデビューした。もうすくデビュー61年になる。かつて「一杯のかけそば」という話が感動を呼んだが、馬場&猪木のBI砲は苦楽を共にして栄光を築いたんだなと思うと、殿堂入りのニュースはうれしくてたまらない。

(記者コラム・谷口 隆俊)

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