【阪神】西勇輝「パパ楽しそうじゃないよ」 息子に言われ吹っ切れた…独占手記

◆JERAセ・リーグ 広島1―4阪神(10日・マツダスタジアム)

 阪神・西勇輝投手(30)が史上140人目の通算100勝を達成した。王手をかけてから自身6連敗と苦しんだが、5回5安打1失点で約3か月ぶりの今季5勝目。8度目の挑戦で、平成生まれでは巨人・菅野に次ぐ2人目の大台到達を果たした右腕が、スポーツ報知に独占手記を寄せた。

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 100勝というのは本当にうれしいですね。毎試合声をかけてくれたみんなの気持ちにようやく応えることができました。最近は苦しい登板ばかり。でも、家でテレビを見ていた息子に言われました。『パパ、楽しそうじゃないよ』って。自分で自分を苦しめてた部分があったのですが、もう一度楽しんで野球をやってみようと思えました。

17年8月22日の対日本ハム戦で、打球が直撃し左手首を骨折した西勇
17年8月22日の対日本ハム戦で、打球が直撃し左手首を骨折した西勇

 僕に関わってくれた全ての人に感謝です。健康でいられるのはスタッフさんに体をケアしてもらい、けがを未然に防ぐことができたから。白星を積み重ねることができたのも歴代の監督に起用していただいたお陰だと思います。17年に左手首を骨折した際には妻が気分転換も兼ねて外に連れ出してくれました。両親や姉もタイミングよく声を掛けてくれる。みんなの存在が笑顔でいられる理由です。

 ただ、あの時だけは不安でした。19歳の頃、顔面神経まひに襲われました。治療法のない病気で、部屋にこもるしかない。もう無理かも…と思った僕の支えは言葉の力でした。メンタルの本を読みあさったこと。プラス思考になれたきっかけです。また、いいと思ったことは今も続けていて、例えば(オリックス時代の)森脇監督の「微差は大差」「維持は後退」という考え方はつらい練習に取り組む度に頭をよぎります。誰かに言われたことをどれだけ感じ取れるか。そこに自分なりの肉をつけていくことが、野球が上達するための秘けつだと思います。

 何かを捨てて何かをしないと成長できない―。僕の信念です。1年目の夏。2軍の酒井コーチと小林コーチに「(プレートの)一塁側から投げていいですか?」と直訴しました。当時、他人と違うことをしないと無理だなと行き詰まっていて。およそ2足分の違いですけど、もう世界が違うんですよ。それまで捕手のミットしか見えなかったのに全部見える。打者も、捕手も、審判も。視界が一気に開けました。12年前は一塁側から投げる右投手はほとんどいませんでしたが、自分が先駆者になれる。挑戦しない理由はないですよね。

 3年前の中日戦(※)では速球系はフォーシームを投げずに全部ツーシームを使いました。前の試合で直球ばかり打たれて…。「どうせ打たれるならあがいた方がいい。投げ方とか変化球を変えたりする機会でもある」とオリックスのエースだった金子さんが言っていたので、思い切って試しました。結果的に調子が悪い時の引き出しが増え、今に生きている試合です。

 おぼろげながら、野球人生のゴールはイメージできています。衰えはいつか来るものだし、体力は33歳から下り坂と言われていますが、野球を嫌いになって終わりたくはありません。後悔だけはしないように、逆算の毎日。やっと100勝もできたので、これからは思い切り楽しく、優勝に向けて腕を振り続けていきます。(阪神タイガース投手)

 (※)18年5月31日の中日戦(ナゴヤD)では捕手の若月と話し合い、ツーシームを多投。5回7安打3失点で6敗目を喫したが、復調のきっかけをつかみ、その後3連勝した。

 ◆西 勇輝(にし・ゆうき)1990年11月10日、三重県生まれ。30歳。菰野高から08年ドラフト3位でオリックス入団。12年10月8日のソフトバンク戦で無安打無得点試合。18年オフにFAで阪神移籍。19年にゴールデングラブ賞。通算276試合100勝87敗1セーブ、防御率3・18。181センチ、81キロ。右投右打。年俸2億円。

  • プロ通算100勝と記した阪神・西勇輝のサイン

    プロ通算100勝と記した阪神・西勇輝のサイン

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17年8月22日の対日本ハム戦で、打球が直撃し左手首を骨折した西勇
プロ通算100勝と記した阪神・西勇輝のサイン
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