北澤豪と100万人の仲間たち<18> ロスタイムの同点弾で夢が潰えた「ドーハの悲劇」をベンチで見つめた悔しさ

ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選、のちに「ドーハの悲劇」と語り継がれる最終戦のイラク代表戦を報じるスポーツ報知の一面。北澤の出場はかなわなかった(1993年10月28日、カタール・ドーハ)
ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選、のちに「ドーハの悲劇」と語り継がれる最終戦のイラク代表戦を報じるスポーツ報知の一面。北澤の出場はかなわなかった(1993年10月28日、カタール・ドーハ)

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(53)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 永遠に忘れられない一瞬がある。

 1993年10月28日、ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選、日本代表対イラク代表戦。

 第4戦の韓国代表戦での勝利で首位となった日本代表は、この第5戦で悲願の本大会出場に王手をかけていた。とはいえ6チーム中5チームが勝点1差にひしめき、北朝鮮代表以外にはまだ望みが残されていた。

 カタールの首都ドーハのアルアリ・スタジアムで行われた最終戦、試合前に注目されていたのはハンス・オフト監督の選手起用だった。守備的MFの森保一が出場停止明けとなるが、前戦はその位置にラモス瑠偉を下げ、攻撃的MFに北澤豪を起用する采配が的中した。酷暑のなかで縦横無尽に走り回って攻守のつなぎ役となった北澤は、日本代表入り以来のベストプレーを見せて勝利の立役者となっていた。だが大一番、オフト監督は森保とラモスを以前の位置へ戻し、北澤をベンチに下げた。

 「ベストパフォーマンスをしたあとの監督の判断だし、僕が決められることではないから仕方がないことでした」

 試合開始直後、いきなり試合は動いた。5分、中山雅史のポストプレーから長谷川健太がシュートを放った。クロスバーに弾かれた球を、三浦知良がヘディングで押しこんで日本代表が早々と先制した。

 「ベンチから見ていて、相手の守備面は、最終ラインの強さがそれほどないのかなと。ただ攻撃面は、中東だけどヨーロッパに近いパスを構築するサッカーをしていました。参加6チーム中、最多の7失点だけど、最多の7得点。簡単にはいかないぞと、警戒感はありました」

 1986年以来2度目となる本大会出場を目指すイラン代表は、そこから反撃に出た。16分、26分と決定機を作り、日本代表を慌てさせた。堅守からカウンターを試みる日本代表の好機は多くはなく、1対0のままハーフタイムを迎えた。ロッカー室では、まるで負けているかのような選手たちの混乱ぶりを北澤は目にした。オフト監督の指示を聞く者は少なく、「Shut up!(黙れ!)」と叫び声が響き渡っても、ハーフタイム終了直前まで選手たちは各々が会話をやめなかった。

 「もともとあの日本代表は主体性が強すぎる個性派の集まりでした。監督が100点の答えを出してくれるわけではないという考えが選手たちにはあったと思います。それをまとめるために規律を重んじるオフトが呼ばれたはずなのに、最後の最後で綻びが出たのかなと。僕にはオフトも冷静さを欠いているように見えたし、いま思えば、それがワールドカップへ行けていない国の経験値なのかな」

 後半も立ち上がりからイラク代表の攻勢が続いた。後半3分のゴールはオフサイドで取り消されたものの、後半9分には右サイドからのセンタリングをアーメド・ラディに合わせられて1対1の同点とされた。

 さらに劣勢が続くなか、後半14分にはラモスのスルーパスに、抜けだした中山が右足で蹴りこんで2対1と勝ち越しはした。だがそれ以降は、このまま逃げきりたい守勢の日本代表と、逆転しなければあとがない攻勢のイラク代表の構図が浮き彫りとなった。

 「猛暑の中東で、2週間で5試合目という日程は、明らかに選手たちの体力を奪っていたように思いました。なので、選手交代がカギになる。自分の出番は来る。そう思いながら準備をしていました」

日本代表選手の運動量が明らかに低下し、中盤にスペースができてこぼれ球を拾えずに波状攻撃を浴びる展開が続いた。ピッチからはラモスの怒声のようなオフト監督への要求が響きわたった。

 「キタザワ! キタザワ!」

 このときピッチにいた選手の心境はのちに各所で語られているが、DFで主将の柱谷哲二の下記の発言が切実さを物語っている。

 「後半、自分の視野がどんどん狭く、暗くなっていったんです。体が本当にキツくて、声を出し続けていないと倒れるんじゃないかっていう状態だった。(中略)4-3-3だったんだけど、イラクに攻められていたんで、北澤を入れて中盤を4枚にしてほしかった。北澤が入れば守備が計算できるから。でも、オフトは武田(修宏)を入れた。武田が悪いわけじゃないけど、この時、初めてオフトが自分たちの考えとズレた采配をした」(『web SPORTIVA』)

 後半14分、すでに長谷川とFWの福田正博が交代されており、当時の規定では残る交代枠は1つ。後半35分、中山に代わってベンチから投入されたのは、ピッチが求めた北澤ではなく、FWの武田修宏だった。

 「僕自身も、なぜ僕じゃないんだろうと思いました。FWはどんな状況でも攻めにいってしまって当然なんです。もし僕だったら、みんなの足が動かずにあんなに苦しんでいる状況で、マイナスにボールを入れてカウンターをされるなんて、絶対に考えなかった」

 そして、「もし僕だったら」という言葉を、北澤は最も重要な場面でくり返すことになる。

 2対1のままロスタイム(現アディショナルタイム)に突入する直前、カウンターで攻めこまれて日本の左サイドからコーナーキックを与えてしまった。

 「ベンチで他会場の経過を無線で聞きながら、このコーナーキックが終われば本大会出場が決まるとわかっていました。もう時間がほとんどない、最後のプレーという状況で、ショートコーナーなんて常識ならやってこない。だけど、常識ならやってこない、そう誰もが思ったときだからこそ、裏をかいたんでしょうね」

 イラク代表はコーナーキックをそのままゴール前へと上げずに短くつないだ。パスの受け手に三浦知良が詰めるが、キックフェイントで躱(かわ)されてセンタリングを上げられた。

 「あれもFWの選手は飛び込んでしまっても致し方ないんです。もし僕だったら、片方に寄せて飛びこんでフェイントを食らわず、両方をケアしてセンタリングを上げさせずに止められたなって…」

オムラム・サルマンのヘディングシュートは、見上げるキーパー松永成立の頭上を越え、無情にもゴールへと吸いこまれた。

 ワールドカップ出場という夢が潰(つい)えたその一瞬を、ベンチから見つめていた北澤は、悲痛に叫ぶことしかできなかった。(敬称略)=続く=

◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

〇…東京パラリンピックが幕を閉じた。5人制サッカーの日本代表は5位でメダルに届かなかったが、日本障がい者サッカー連盟の会長を務める北澤氏は、自身のユーチューブ公式チャンネルやラジオ出演などで大会をPRしながら代表チームを熱烈バックアップ。全国からの温かい励ましに「応援ありがとうございました」と感謝した。今月12日にはフットサルW杯リトアニア大会が開幕する。日本は1次リーグでアンゴラ、パラグアイ、スペインと対戦予定。日本サッカー協会フットサル委員長も務める北澤氏は、4強入りを目標に掲げ、再び応援を呼びかけている。

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