車いすバスケット男子銀メダル 11得点の藤本怜央「競技人生一番の宝」

スポーツ報知
閉会式で花火が打ちあがった国立競技場

◆東京パラリンピック 車いすバスケットボール 男子決勝 日本60―64米国(5日、有明アリーナ)

 東京パラリンピックは5日、最終日を迎え、車いすバスケット男子決勝で、日本はリオ大会王者の米国と対戦。60―64で敗れたが、銀メダルを獲得した。バスケ王国から一人で11得点を奪うなどで大善戦の立役者となったのは、静岡・島田市出身の藤本怜央(37)=宮城MAX=。2004年アテネ大会から5大会連続出場して、ついに手にした初めてのメダルを「競技人生の宝」と喜んだ。

 銀メダルを首からかけた藤本が笑顔を輝かせた。アテネ(8位)、北京(7位)、ロンドン(9位)、リオ(9位)と過去4大会で募らせて来た悔しい思い。ついに東京で晴らすことができた。あと一歩のところで金メダルは逃したが「世界一の相手に真っ向勝負で戦えた。競技人生一番の宝になったと思います」と感慨深げだ。

 米国相手に機先を制したのは、第1クオーター開始直後の藤本の3点シュートだった。「夢の中のよう。実感がなかった」というスタートを切ると、文字通り「夢中」になって11点をマークして大接戦に貢献した。

 チーム最年長。代表歴17年で監督、コーチ陣以上にチームの変遷を知っている藤本が、大躍進の要因として挙げるのは、20代の若手選手たちの台頭だ。自身と途中交代して出場した赤石竜我(20)や秋田啓(31)が頼もしく見えたという。

 「何よりも嬉しかったのは、自分ではなくて10歳以上も年が離れた選手が活躍してくれたこと。僕がベンチにいる時に試合を見て、強くなったな、と感じられたことです」

 銀メダル獲得は「区切りにはなった」と話すが、今後の結論はまだ出ていない。世界一を目指せるチームにいることが分かったからだ。「悔しさをかみしめて(試合終了の)ブザーを聞けたのは日本が強くなったということ。このスポーツが大好きですし、(今後は)自分の気持ちに正直にいきたいと思います」。アスリートとしてか、指導者としてか。いずれにせよ、3年後のパリ大会で目指すのは金メダルしかない。(甲斐 毅彦)

 ◆藤本 怜央(ふじもと・れお)1983年9月22日、島田市生まれ。37歳。小3だった9歳の時に交通事故で右脚の膝下を失った。小5でバスケを始める。島田工高卒業後、東北福祉大入学し、車いすバスケに転向した。大学卒業後は宮城MAXのエースとして天皇杯11連覇。得点王12回。

 ◆車いすバスケットボール ルールはほぼ五輪競技と同じだが、ダブルドリブルはない。1チーム5人が、10分×4クオーターで得点を競う。選手には障害の重さに応じて1・0―4・5の持ち点が定められ、チームはコート上の5人の持ち点合計を14・0以内に収めなければならない。藤本は最も軽度の4・5点。

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請