上治丈太郎氏、苦難乗り越えた五輪パラ「東京モデル」 10年、20年と後世に語り継がれることを願う

スポーツ報知
上治丈太郎氏

 東京パラリンピックは5日、全13日間の日程を終えて閉幕した。7月23~8月8日の東京五輪の17日間と合わせ、30日間に及んだ東京2020大会。元ミズノ副社長で、組織委参与としても今大会に関わった上治(うえじ)丈太郎氏(74)が特別寄稿し、大会を振り返った。

 新型コロナウイルスの世界的な大流行の中で巨大イベントを運営することは、複雑なジグソーパズルをはめていくような作業の連続だった。開催の賛否両論はいまだにあるが、私個人としてはスポーツの価値を、この東京大会から発信できたことは素晴らしかったと言いたい。熱い思いを胸に参加された全てのアスリート、ボランティア、医療従事者の方々に心から敬意を申し上げたい。

 大会中にIOC(国際オリンピック委員会)の委員や海外関係者らから「この状況下での開催は日本だからできた。日本国民の健全性、インテグリティー(誠実、高潔さ)がなければ開催できなかった」と評価をいただいた。特に猛暑の中、早朝から夜遅くまで笑顔で対応していただいたボランティアの方々のお陰で、とても居心地の良い滞在になったと感謝される方が大変、多くいた。どのアスリートも試合後に述べていたように、開催に尽力された方々への感謝の言葉は、関係者にとって、これ以上ないねぎらいになったと思う。

 各地で行われた海外選手団の事前キャンプでは各自治体が大変な苦労をされた。国際交流の場で海外アスリートと子供たち、地元住民の絆を深められるように、受け入れ態勢などを始め、国がホストタウンに対し、もう少し積極的なサポートを行っていただけていれば、という思いが残った。

 IOCとしても史上初めて延期された大会を経験し、多くの知見を新たに得たと思う。ただ、こんなに素晴らしいイベントを行おうとしているのに、IOCの良さがほとんど伝わらなかったのは残念であり、IOCとしても発信する努力が足りなかったのではと感じた。24年パリ五輪後にはいったん、スポンサーから離れる企業がいくつかあるとも聞く。年間で200億円以上の対価を払い、五輪のバリューと企業理念が合うのか厳しく精査するという。東京大会を機に新たな潮流が生まれつつあると感じた。

 今後の五輪ムーブメントに向け、組織委は多くの犠牲を払った「東京モデル」をレガシーとして伝える責務がある。コロナ禍に隠れていたが、猛暑での競技、特に北半球で7~8月の開催時期は変えるべきと伝えなければならないだろう。

 無観客だったことで大きな問題も起きなかったが、炎天下のスケートボード会場では海外メディアが熱中症で救急搬送された事例があった。3年後の24年7月26~8月11日に実施されるパリでは今夏、40度近く気温が上がり、開催時期を議論する余地はあるはずだ。この苦難を乗り越えた第32回オリンピック競技大会が10年、20年後の後世に語り継がれることを願いたい。

 ◆上治 丈太郎(うえじ・じょうたろう)1947年3月27日、兵庫・香美町生まれ。74歳。東京2020大会組織委参与。JOC国際人養成アカデミースクールマスター。15年6月に退任したミズノで副社長、相談役を歴任。88年ソウルから12年ロンドンまで夏冬計13回の五輪に携わり、東京大会招致にも深く関わった。

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