東京五輪の陸上男子100M&400Mリレー代表・多田修平を指導した花牟礼武さんの「誰もが伸びる」指導法

スポーツ報知
「80歳まで走り続けたい」と話した花牟礼武さん(カメラ・菅原美沙)

 東京五輪の陸上男子100メートル、400メートルリレー代表の多田修平(25)=住友電工=を大阪桐蔭高で指導し、現在は日本福祉大陸上部でコーチを務める花牟礼(はなむれ)武さん(50)が、昨年12月に株式会社アスリートワンを設立した。今年3月には大阪・住吉区に児童発達支援、放課後等デイサービスの施設「スタートアップあびこ」を開所。自身が高校時代に味わった挫折を元に、子どもから大人まで「好き」を大切にした指導を続けている。(取材・構成=菅原美沙)

◆指導者で日本一に

 中学時代から陸上競技に携わる花牟礼さんは、昨年3月まで勤務した大阪桐蔭高で、東京五輪代表の多田らを指導。同校を府のインターハイで5年連続(13~17年)総合優勝に導いた。高校教員として26年間指導してきた原点は、名門・洛南高で味わった挫折だった。

 「中学は100メートルで奈良市1位だったんですが早熟で、洛南高では一番遅かったんです。3年間『辞めたい、辞めたい』と思って一生懸命練習しませんでした。でも引退した時に後悔して『日本一の指導者になりたい』と目標ができてから頑張りました」

 部活動を引退後、すぐに母校・京西中で陸上部のコーチを務めた。近大進学後も競技者ではなく指導者の道を選び、全国レベルで戦える選手を育成。順風満帆なスタートに思えたが、教員最初のキャリアとなる東大阪大柏原高で転機を迎える。

 「朝練をやって夕方は4、5時間もやっていたけど、選手をだめにしてしまって、量より質に変えました。壮大な目標ですけど、誰もが伸びる練習メニューを作りたかったんです。トップ選手だけが大事な訳じゃないし、競技力が低い子にも伸びてほしい。勝ちたいという思いもありました」

 東大阪大柏原高で最大100人、大阪桐蔭高では150人の部員が所属しており、練習は1コマ50分に区切って行うなど効率性を重視。走跳投の基礎練習は共通で、その土台は約20年間変わらない。全国各地で先輩指導者たちから技術を学び、様々な種目でトップ選手を育てた。

 「高校時代に遅かったことがすごくコンプレックスで、40歳ぐらいまで自信なく教えていました。それを払拭(ふっしょく)できたのは、指導者として成績を残して自信が出てきたから」

 国語科の教員として授業を受け持ち、9~12月は選手をスカウトするため中学校や大会に足を運んだ。多忙な時はソファで夜を過ごし、布団で眠るのは年に10回ほど。首には“勲章”のコブができたが、その生活を苦痛に感じることは一切なかった。

 「好きだったからできました。他人に尽くすことで自分にメリットが返ってくる。指導者として『勝ちたい』と思ってやった結果、生徒に還元されていく。自分が勧誘した子は自分で見たいじゃないですか」

 多田に声を掛けたのは、中学時代の記録会がきっかけ。当時下位入賞だったが、花牟礼さんが理想とするスプリンター像に近かかった。

 「勧誘するときのポイントは走るときの接地時間が短くて、いかに股関節が動いているか。あとは細身なこと。多田は走りのリズムもよかった。『俺にだまされたやつが結構いい思いをしてるから』と話しました」

 3年時の100メートルのベストタイムは10秒50。3年間で0・75秒も縮まった。高校で土台を作り、1年遅れてきたオリンピックイヤーで開花。今年6月の日本選手権は自己ベスト9秒台の選手を抑えて優勝した。

 「高2のベストは10秒81で、一つ上の桐生(祥秀)が10秒01。人間って分からないよね。その時は多田が前で走るなんて誰も思ってなかった。俺も思わなかった(笑い)」

 指導方針などの違いで大阪桐蔭高を離れることになったが、かねてスカウトに来ていた日本福祉大・三井利仁監督と意気投合。同大学の女子駅伝コーチに就任した。今年3月には、大阪・住吉区のJR我孫子町駅から徒歩1分の場所に「スタートアップあびこ」を開所。2歳から18歳の子どもを50分間マンツーマンで見守り、自立や成長をサポートする。地域貢献を掲げながら、花牟礼さんは代表取締役として経営に尽力。現在は約30人が施設に通っている。

 「ここに来て楽しく過ごしてくれたらいいですね。スポーツや音楽、パソコンなど、各分野に特化した施設を5年のうちに住吉区に5つ増やすのが目標。自分の陸上クラブも作りたいです。80歳まで走り続けたいと思います。30年あったら色んなことができますね」

◆パリ五輪も期待「悔しいと思ってまた頑張るんじゃないかな」

 花牟礼さんは、多田が東京五輪で走る姿をテレビを通して見届けた。10秒22で敗退した男子100メートル予選について「スタートが悪い時の多田でしたね。今年のいいときはもっとスムーズだった。心理的に欲張ったかな」と残念がった。

 第1走者として臨んだ男子400メートルリレーでは、第2走者・山県亮太(29)=セイコー=との間でバトンが渡らず、無念の途中棄権。多田が絶好のスタートを切った姿には「すごいよかった。中盤からもぐっと伸びていた」と目を細めた。

 試合後「いい動きやった。一日でも早く切り替えて、次があるよ。パリでの活躍に期待しています」と連絡し「次に向けて頑張ります」と決意の返事を受け取ったという。「いい経験と言ったら変だけど、悔しいと思ってまた頑張るんじゃないかな」。“親元”を離れた教え子が3年後に迎える大舞台へ思いを巡らせた。

 ◆花牟礼武(はなむれ・たけし) 1971年5月9日、奈良市生まれ。小学4年から野球を始めたが、京西中(奈良)で「足を鍛えたかった」と陸上部に所属。洛南高(京都)から近大に進学し、京西中陸上部のコーチを経て、95年から東大阪大柏原高の陸上部顧問。11年9月から大阪桐蔭高の陸上部顧問。担当教科は国語。20年3月に退職し、日本福祉大の陸上部コーチ就任。同12月に株式会社アスリートワンの代表取締役就任。教え子には多田修平をはじめ、19年世界陸上の走り高跳び代表・佐藤凌や新日本住設WEST代表取締役の大城真悟、20年日本インカレでハンマー投げ優勝の福田翔大らがいる。

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