北澤豪と100万人の仲間たち<17>同年齢で同ポジション、現日本代表・森保一監督とのW杯最終予選での信頼

W杯アメリカ大会アジア地区最終予選、韓国戦で初先発した北澤豪は、11年ぶりとなる宿敵撃破に貢献。夢の本大会初出場まであと1勝と迫る(1993年10月25日、カタール・ドーハ)
W杯アメリカ大会アジア地区最終予選、韓国戦で初先発した北澤豪は、11年ぶりとなる宿敵撃破に貢献。夢の本大会初出場まであと1勝と迫る(1993年10月25日、カタール・ドーハ)

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(53)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 まもなくワールドカップカタール大会のアジア地区最終予選が始まる。森保一(もりやす・はじめ)監督率いる日本代表は、いまや常連となっている本大会へ7回連続となる出場を目指す。

 しかし、アジアの壁をまだ一度も突破できずにいた1993年10月、ワールドカップアメリカ大会のアジア地区最終予選の開催地であるカタールで、日本代表は窮地に立たされていた。2戦を終えて勝点1は6チーム中最下位で、上位2位までに入って悲願の本大会出場を果たすには、残る3戦で全勝するしかなかった。

 27年前のその日本代表に、レギュラーメンバーの森保一と、そして、バックアップメンバーの北澤豪がいた。第2戦の敗戦直後のロッカー室で、ハンス・オフト監督によって《win 3》と記されたホワイトボードを北澤は見た。

 「3戦全勝するために、何ができるのかと。バックアップメンバーだった僕には、いざ試合に起用されたときのために万全を期すことくらいしかできない。先発組がまだ休んでいる早朝に、同じく控え組のケンタさん(長谷川健太)やゴンちゃん(中山雅史)と、すでに猛暑のグラウンドへ走りに行きました」

 第3戦の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)代表戦、オフト監督がメンバーとシステムの変更を断行した。第2戦では後半からの途中出場だったフォワードの2人、長谷川と中山を先発で起用。三浦知良との3トップにすることで、勝ち点3を奪いにいく果敢な姿勢を見せた。2人は期待に応え、長谷川は鋭いドリブル突破で幾度となく好機を作り、中山は前戦から2試合連続となる得点を挙げた。

 「2人のプレーはベンチから見ていてもキレキレでした。自分が流れを変えるんだとモチベーションも最高で、控え組の状態もオフトは見ていて、オプションとしてちゃんと考えてくれていたんだなと」

 そして、アップしていた北澤がオフト監督に呼ばれたのは後半39分のことだった。通算2枚目のイエローカードで森保の次戦出場停止が決まった。北澤の途中出場は、次戦の先発出場を示唆するものでもあった。

 「ようやく来たな、とやる気満々でした。少ない時間でも脈拍を上げつつゲーム感覚を取り戻すことを意識して、めちゃくちゃ走り回りました」

 結果的にその北朝鮮戦を3対0と圧勝するも、第4戦の韓国戦でもなお背水の陣は続いていた。その試合前、オフト監督から初先発を告げられた北澤のもとへ、ある人物が激励に訪れた。出場停止で北澤にポジションを譲ることになる、森保だった。同い年で、同じミッドフィルダー。そして、ワールドカップへ出場するという、夢も同じ。

 「あいつがわざわざ僕のところへ来て、『頼んだぞ』と言ってきたんです。これまであいつがピッチでチームのためにどれだけ泥臭い仕事を、本気で、全力で、やってきたかを、僕はベンチから見ていました。僕はあいつより自己主張が強いほうだけれど、活躍して目立とうとか、レギュラーを奪おうとか、そんな個人的な考えなんかまったくなかったです。ただこの一戦にどう勝つか、それだけでした。勝てなければ、次なんて、ないわけですから」

 大一番の前夜、ピッチにおける味方や相手の動きを想像していると、一睡もできずに朝を迎えた。

 「試合前夜に眠れなかったことなんて、初めてでした。僕の役割は攻守の切り替えスイッチになることかなと。守備一辺倒の時間が長く、せっかく攻撃に転じても動きだしが曖昧だったことが、これまでの苦戦の要因に思えました。それとラモス(瑠偉)をいかに生かすか。徹底的にマークされて動けるスペースをかなり限定され、ストレスが溜まって主審に文句を言っていることがありました。僕がバランスを取りつつ走り回れれば、スペースを生みだせるんじゃないかと」

 初先発の韓国戦、彼は躍動した。中3日の休養しかなく、しかも酷暑の午後4時15分試合開始ながら、「ダイナモ(発電機)」と称される豊富な運動量で縦横無尽に走り回った。味方がボールを奪った瞬間に攻撃のスイッチを入れてカウンターを仕掛け、相手にボールを奪われた瞬間に守備のスイッチを入れてボール保持者にプレッシャーをかけつつ陣形を整えた。三浦や中山、そしてこの日はスペースが与えられたラモスとショートパスを交換し、彼自身もシュートを放った。

 「いける、この試合、いけるぞと。初めて韓国戦で勝てる手応えを感じていました」

 ワールドカップ予選では過去に1勝もできず、それ以外でも1984年から11年もの間、勝てずにいた韓国。本大会出場への大きな障壁を乗り越える日が、ようやく訪れようとしていた。

 「前半から僕も何本かシュートを打てましたけど、こんなことは過去の韓国戦ではあり得なかったんです。韓国は首位だったから余裕があったのかもしれません。逆に土壇場に追いこまれていた僕らは死に物狂いで、『この試合で負けたら日本へ帰れない』とカズさんは話していましたから」

 そして、その三浦に、後半14分、この試合唯一となるゴールが生まれた。日本代表は2連勝で6チーム中首位に躍り出た。

 試合直後、殊勲の三浦ら数名の選手が、韓国を倒せたことに涙を流していた。北澤も、森保ら出場していなかった選手たちと抱きあって歓んだ。

 「まだ終わったわけじゃないよ!」

 歓喜の中で、まるで冷や水を浴びせるようなラモス瑠偉の怒声を北澤は耳にした。

 「たしかにその通りだなと。まだ終わったわけじゃない。最終戦が残っている。気を引き締め直しましたね」

 そして、夢のワールドカップ本大会まであと1勝となった最終戦、またベンチから見守ることになる彼は、今度は森保に告げる番だった。

 「頼んだぞって。戦友にチームを託しました。これまで僕はずっとサポーターに応援されてきたけど、このとき初めて、僕もサポーターの気持ちになりました」

 けれども、その最終戦は、あまりにも劇的で、あまりにも残酷な、彼の想像をはるかに超える、衝撃の結末が待っていた。(敬称略)=続く=

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

 〇…東京パラリンピックが開幕した。29日からは5人制サッカー(青梅アーバンスポーツパーク)が始まる。日本障がい者サッカー連盟の会長を務める北澤氏は、自身のユーチューブ公式チャンネルやラジオ出演などで大会をPRしながら代表チームへの応援を呼びかけてきた。男子は5~6月に行われた“前哨戦”の男子ワールドグランプリで初めて決勝進出を果たし、世界ランク1位のアルゼンチンに敗れたものの過去最高の2位。北澤氏はメダル獲得の期待を高めている。

サッカー

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請