10年前の夏の朝、高校生だった東京五輪マラソン代表の服部勇馬と一緒に走って思った「きっと大物になる」

スポーツ報知
10年前、高校生だった東京五輪男子マラソン代表の服部勇馬(左から4人目)と一緒に走った本紙記者(左から2人目)=写真提供・スポーツ東洋

 2011年8月。

 私は、新潟・長岡市の山古志地区で行われた東洋大駅伝チームの夏合宿を取材した。起伏が激しい練習コースを体験取材するため、酒井俊幸監督の快諾を得て、朝練習に特別参加させてもらった。1キロ4分ペースの16キロ走。選手にとっては文字通り「朝飯前」の軽い練習だが、市民ランナーの私にとってはレース同様の負荷がかかる16キロ走だった。

 実は、この時、もうひとり、この朝練習に特別参加したランナーがいた。東京五輪男子マラソン日本代表の服部勇馬(トヨタ自動車)だ。当時、宮城・仙台育英高の3年生。翌春の進路先として東洋大を志望していたため、合宿に加わっていた。

 服部は前年12月の全国高校駅伝で2年生ながらエース区間の1区で3位になるなど、すでに高校トップクラスの選手だった。そのシーズンの箱根駅伝を制することになる東洋大のランナーの中に入っても、丸刈りの高校生は全く見劣りをすることはなかった。

 その約5か月前の3月11日に東日本大震災が発生。仙台育英高の選手が毎週のように練習していた海沿いのクロスカントリーコースが津波にのみ込まれた。親類を亡くしたり、家が流された友人もいたという。後に服部は「走れることは当たり前ではないことを知りました」と語っている。当時、17歳の服部は様々な思いを抱えながら走っていたのだと思う。

 服部は長距離選手として体は大きいし(身長176センチ)、走りもゆったりとしていて、大きかった。その背中に一流ランナーのオーラを感じた。私は集団の最後尾を必死に走りながら「彼が服部勇馬か。きっと大物になる」と思ったことをよく覚えている(決して後付けではありません)。

 その合宿の取材に訪れていた東洋大学スポーツ新聞編集部「スポーツ東洋」のスタッフが撮影した写真の中に、服部と一緒に写った一枚があった。提供してもらったその写真は今、我が家の「家宝」となっている(すみません、自慢です)。

 朝練習終了後、酒井監督の厚意で、選手に交じって、冷たくて甘いスイカをごちそうになった。服部は、変なオジさん記者にも「服部勇馬といいます。よろしくお願いします」と丁寧にあいさつしてくれた。その後、多くの取材現場で彼と顔を合わせた。その誠実な印象は当時から全く変わらない。

 あれから、ちょうど10年。2021年8月。夏の朝に行われる五輪マラソンで、服部勇馬が自分自身の納得するレースをしてくれることを期待している。(記者コラム・竹内 達朗)

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