野口啓代、古い牛舎改造し“ジム化” 全力サポートの父へ最高の恩返し

野口啓代(左)と父・健司さん(本人提供)
野口啓代(左)と父・健司さん(本人提供)

◆東京五輪 スポーツクライミング女子 複合決勝(6日・青海アーバンスポーツパーク)

 女子決勝は8人で争われ、日本勢がダブル表彰台を決めた。今大会を最後に現役を引退する野口啓代(32)=TEAM au=はスピード4位、W杯で4度年間女王に輝いた得意のボルダリングは4位、リードは4位で、合計64点で銅メダルだった。

 家族旅行のグアム島での体験をきっかけに、11歳から始まった野口のスポーツクライミング人生。引退を決めるまで競技を続けて来られたのは間違いなく、父・健司さんの存在があった。

 野口のクライミングの原点は実家の牛舎。実家からは最も近いジムは最短でも車で30分かかる。「通うのは大変だから作っちゃえ!」。13歳の時、父が酪農を営んでいた実家の古い牛舎を改造し、手作りのボルダリングの壁が出来上がった。最初は傾斜も90~100度の初心者用だったが、5回以上も増改築を繰り返した。

 中高生の頃、父は時差がある海外でのW杯は、日本が夜中でもライブ中継をチェックし、大会直後に電話。「あの課題がよかった、とか結構細かいところまで見ている(笑い)」と野口。国際電話で1時間以上、父との“反省会”が開かれた。「一緒に夢に向かってくれる存在でした」。父のサポートがなければ、ここまでたどり着いていなかった。

 高校3年で分岐点を迎えた。「プロになるか、大学に行くか」。当時、まだまだマイナー競技でプロもほぼ前例のない世界。それでも父は「今しかできないことをやってほしい」と背中を押した。だが、野口はプロでやっていくのに不安があり、大学に入学した。

 大学1年の夏、再び決断する時が訪れた。ボルダリングW杯で初めて優勝した。「やっぱり、これだけをやっていきたい」。帰国後、すぐに大学を辞めた。

 東京での五輪開催が決まった時からの大きなモチベーションの一つに「家族を五輪に連れて行きたい」という思いがあった。19年の世界選手権。野口は複合2位の日本人最上位で五輪切符を手にした。「子供の頃からあまり褒められたことがなかった」という父が初めて泣いていた。「いくつになっても私のわがままを何でも聞いてくれる。面と向かってお礼を言ったことはありませんが、一番感謝しています」。競技人生最後の舞台。大好きな父に感謝を込め、登り続けた。(小林 玲花)

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