“みまじゅん”ペアが育った「豊田町卓球スポーツ少年団」とは…設立した水谷の父・信雄さんが明かす

スポーツ報知
11年の全日本選手権でシングルス5連覇を達成した水谷は(左から)祖父・鈴木暁二さん(1人おいて)母・万記子さん、父・信雄さんと記念撮影

◆東京五輪 卓球混合ダブルス決勝 水谷隼、伊藤美誠4(5―11、7―11、11―8、11―9、11―9、6―11、11―6)3許シン、劉詩ブン(26日、東京体育館)

 新種目の混合ダブルスで水谷隼(32)=木下グループ=、伊藤美誠(20)=スターツ=組が金メダルに輝いた。決勝で許、劉詩組(中国)を4―3で撃破した。ゲームカウント0―2からの大逆転。同郷で12歳差の“みまじゅん”ペアが、日本卓球界初の金メダルの悲願を成し遂げた。水谷と伊藤は静岡・磐田市の「豊田町卓球スポーツ少年団」の出身。少年団を設立したのは水谷の父・信雄さん(61)と母・万記子さん(59)だ。同郷で12歳差の“みまじゅん”ペアが育った環境を明かした。

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 水谷と伊藤は幼少期、同じ「豊田町卓球スポーツ少年団」で練習に励んだ。代表を務めるのは水谷の父・信雄さん。同じ少年団から五輪でペアを組んでメダルを獲得。奇跡的な巡り合わせに「この先、100年たってもないようなこと。そうなればいいなとは思っていたけど、まさか現実になるとは」と感激していた。

 少年団が発足したのは水谷が5歳の時だ。当時、信雄さんと母・万記子さんは社会人のクラブで活動していたが、同年代の子を持つ親が多かったことや、テレビの愛ちゃん人気にも影響された。万記子さんは「興味本位でした。こんなに小さい子でもできるんだ。家族でも楽しめるかなって」と子どものチームを作った。

 地域の小学校にビラを配り、20人ほど、週1回の練習からスタートした。活動は手探り。全国大会の予選がいつ行われるかも分からなかった。近隣のクラブなどから情報を仕入れ、指導法を学んだ。対戦相手の情報も蓄積がなく、万記子さんがローカル大会にも出かけて動画を撮影。「プログラムに100人書いてあれば、片っ端から全員を研究していた」と振り返る。

 美誠3歳時参加 伊藤は3歳の終わり頃から週に1~2度、参加するようになった。信雄さんは「物おじしないし、とにかく思い切りが良かった」。県で上位の小学生の男子に交じって練習。小学校でも高学年や中学生と日常的に打ち合うことでぐんぐんと上達した。小中学生が少人数で一緒に練習する同クラブならではの良さだった。

 全国大会には発足2年目に水谷の兄・雄城さんが小2で初出場してから、27年連続で送り出している。16年リオ五輪では水谷、伊藤ともにメダルを獲得。磐田市でパレードが行われた。強豪クラブのイメージがすっかり定着したが、当時から専属のコーチもいない。指導するのは在籍する子どもたちやOBの家族で、卓球経験者ばかりではない。

 東京五輪の選手団には水谷と伊藤だけでなく、松崎太佑コーチも入っている。松崎コーチは弟の送り迎えで少年団に通っていたが、伊藤から中学進学時にお願いされ、大阪に拠点を移して専属コーチとなって支えてきた。万記子さんは「みなさんと一緒に始めた田舎の小さな街のクラブ。驚かれますけど、それは今でも変わらない」と語るが、そこから結ばれた不思議な縁が、新種目でのメダルにつながった。(林 直史)

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