山田恵里が父の命日に笑顔届けた…ソフトボール開幕3連勝を担当記者が見た

ベンチ前で笑みを浮かべる山田恵里
ベンチ前で笑みを浮かべる山田恵里

◆東京五輪 ソフトボール1次リーグ 日本5―0イタリア(24日・横浜スタジアム)

 1次リーグ第3戦が行われ、日本は5―0でイタリアを下して開幕3連勝を飾り、27日の決勝進出に王手をかけた。前回の2008年北京五輪から2大会連続で主将を務める山田恵里外野手(37)=デンソー=にとって、この日は14年に心筋梗塞で急逝した父・良彦さん(享年60)の命日。3度目の五輪を「集大成」と位置づけ、父への思いを秘めてグラウンドに立った山田の決意を、ソフトボール担当の宮下京香記者が「見た」。

 山田は特別な思いを胸にユニホームに袖を通した。父・良彦さんが心筋梗塞で亡くなって7年。初めてこの日、五輪の舞台で命日を迎えた。「1番・中堅」で先発出場し、5回途中までで2打数無安打。4回の打席で代打を送られたが、主将として交代後も外野手の肩慣らしの相手をしたり、チームのために戦い続けた。

 14年7月24日。海外遠征から帰宅し、自宅で寝ていたところ、母・文子さんから着信が入り「お父さん、死んじゃった…」と告げられた。あまりにも突然の出来事だった。

 父は48歳まで現役の競輪選手で、母も元陸上選手。山田も両親の運動神経を受け継ぎ、幼い頃からかけっこは男子を退けて1等賞。小1で野球を始め、高校でソフトボールに転向すると、才能は一気に開花した。小、中学時代、父は「試合をあまり見に来られなかった」。だが、競輪を引退後は海外の試合まで応援に駆けつけた。金メダルを獲得した北京五輪も、もちろん現地観戦。「父は英語は話せないけど現地ですぐに友達をつくるのよ」と性格の明るい父を思い出して笑う。

 父の教えは「妥協しない」こと。山田の一番の魅力はバットだ。北京五輪の時から13年、妥協せずに続けてきたことがある。毎朝右手、左手、逆手、両手で10回ずつスイング。微妙な感覚を確かめるためだ。ここまで3試合で1安打と打撃は低迷するが、リーダーシップの貢献度は計り知れない。両親が名付けた「恵里」はサザンオールスターズの「いとしのエリー」が由来。天国で見守る最愛の父に2度目の金メダルをささげる。(宮下 京香)

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請