【巨人】村田修一コーチが語った五輪とWBCの明確な違い…日の丸との向き合い方語る

08年、背番号「55」で北京五輪に出場した村田修一
08年、背番号「55」で北京五輪に出場した村田修一

 巨人の村田修一野手総合コーチ(40)は、08年の北京五輪に出場した。07、08年と2年連続で本塁打王を獲得するなど絶頂期にあったが、直前合宿中に体調を崩して入院し、本大会では打率8分7厘と苦戦。五輪出場から得た教訓をもとに、WBCとの違いや、日の丸との向き合い方を語った。

 村田は現役時代に五輪とWBCの両大会を経験。どちらも最高峰の舞台だが、明確な違いがあるという。

 「五輪の野球は競技の中の一つで、野球中心に回ってない。練習時間もちょっとアバウトだったり、渋滞に巻き込まれて練習に間に合わなかったというのもあった。そこは心していったほうがいいのかなと」

 北京五輪の前年07年には本塁打王に輝き、右の大砲と期待された。だが、直前合宿中に発熱で入院すると、本大会でも23打数2安打と不完全燃焼に終わった。

 「体調管理できなかったことが反省です。準備期間にしっかり準備ができなかったことが大きな失敗。僕は柔軟に対応できなかったし、体も順応しなかった」

 環境だけでなく、重圧との闘いも大きな鍵になる。北京五輪では緊張でえずき過ぎたため、喉の奥が切れて口から血が出たという。

 「ユニホームの背中の後ろに小さく日の丸を背負ってますけど、あんなちっちゃいもんじゃない。シーズン中に応援してくれるファンが12分の1だとして、日の丸を背負うことによって重圧はシーズン中×12になるってことですから」

 その中でも最大限に力を発揮するための方法とは。

 「余計なことは一切考えず、腹くくって初球から打ちにいく準備ができるかどうかだけ。国際大会、一発勝負、短期決戦は受け身になったらやられる。自分が信じるものを作って、それを全うするだけ。僕も心から応援しているし、『オリンピックよかったね』とみんなから言われるように頑張ってほしいと思います」

 ◆村田 修一(むらた・しゅういち)1980年12月28日、福岡県生まれ。40歳。東福岡高、日大を経て2002年ドラフト自由獲得枠で横浜(現DeNA)入団。07、08年本塁打王。08年北京五輪、09年WBC日本代表。11年オフに巨人にFA移籍。18年はBC栃木でプレー。19年から巨人2軍コーチ、21年から1軍野手総合コーチ。NPB通算1953試合、1865安打、打率2割6分9厘、360本塁打、1123打点。右投右打。

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