北澤豪と100万人の仲間たち<15>憧れだったジーコとの対戦、そして「つば吐き事件」に学んだ情熱

スポーツ報知
第1回Jリーグチャンピオンシップ第2戦、ヴェルディのPKに激昂してボールに唾を吐いたジーコは退場処分となった。背後には抗議する北澤の姿が(1994年1月16日、国立競技場)

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(52)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 成功や勝利ばかりではなく、失敗や敗北もまた、サッカー選手を育てる。

待ちに待った1993年のプロサッカーリーグ「Jリーグ」の開幕戦という歴史的一戦で、ヴェルティ川崎(現東京ヴェルディ)の北澤豪は、自身の失敗による敗北を経験した。

骨折が完治していないために後半開始からの途中出場となったその直後の後半3分、自陣右コーナー付近でボールを保持した横浜マリノス(現横浜F・マリノス)のゲームメーカー木村和司に対し、左肩から猛突進して転倒させた。木村からこぼれたボールがゴールラインを割り、コーナーキックとなってしまった。

「あんなに激しく当たる必要なんてなかったんです。骨折から復帰して、途中出場ながらようやくピッチに立てて、アドレナリンが出過ぎていたんでしょうね。和司さんとぶつかった僕のせいでコーナーキックになって、そこからの失点ですから、もっと冷静に対処しなければなりませんでした」

コーナーキック、意表を突く早めのリスタートで木村がエバートンへショートパス。フリーで受けたそのブラジル人が右足で放ったミドルシュートが同点ゴールとなった。揺れるゴールネットとひざまずいて消沈するゴールキーパーの菊池新吉とを見て、北澤は天を仰いだ。

勢いづいたマリノスに、後半12分にはディアスのゴールで逆転を許してしまう。その後ヴェルディは猛攻を仕掛けるも、マリノス守備陣を崩すには至らずに1対2と敗れた。ともすると骨折という肉体的な痛み以上の、こののち永年続くことになる敗北の痛みに、彼は耐えなければならなかった。

「前半勝っていたチームが、後半逆転負けしたなら、途中出場の僕に責任があるのは当たり前です。この試合だけは特別で、たとえ自分が死んでも後々まで語り継がれる、歴史に刻まれる一戦です。だからこそ、負けるわけにはいかなかったのにね…。開幕戦の話になると、いまでもマリノスの元選手たちからは、『勝ったのは俺たちだから』と言われます。そのたびに、胸が痛くなるんですよね」

 その敗戦後、怪我を完治させてレギュラーに復帰すると、最終的に年間39試合に出場、9得点の活躍で、チームのファーストステージ2位、セカンドステージ優勝に貢献した。そして年を跨いで1994年の1月に、各ステージの覇者同士が2回戦制で年間初代総合王者を決める、第1回Jリーグチャンピオンシップが開催された。ヴェルディの対戦相手は、当時のJリーグで唯一前身がJSLの2部所属ながら(住友金属工業)、ファーストステージで優勝してみせた鹿島アントラーズだった。

「当初、僕らはアントラーズをナメていました。所詮はJSL2部だったチームだろと。でも以前までとはっきり違うことがあって、それは、ジーコがいるということ。たった一人でチームを変貌させることが、彼ならできますから」

ブラジル代表で主将を務めたジーコが加入したアントラーズは、ヴェルティ対マリノス戦の翌日に行われた開幕戦で名古屋グランパスエイトと対戦して5対0で圧勝した。そのJ初陣でジーコはハットトリックを達成し、チームに自信と勢いをもたらした。

「さすがだなと。中学生の頃にワールドカップスペイン大会をテレビで観ていた僕にとって、ブラジル代表中盤の『黄金のカルテット』の一角だったジーコは、憧れであり、神様みたいな存在でした。チャンピオンシップで、その神様と対戦できるなんて、マジかよと興奮しましたし、でも絶対に勝ってやると鼻息が荒かったです」

右の中盤である25歳の北澤と、左の中盤である40歳のジーコは、チャンピオンシップで対峙(たいじ)した。1月9日、国立競技場での第1戦が始まると、ジーコの想定外のプレーに驚かされたことが多々あった。なかでもマークをかいくぐってフリーになる動きには翻弄(ほんろう)された。

「もちろん一生懸命ジーコに付いてマークしているんですけど、ある瞬間、ジーコを背後にしてボールの動きを見て、振り向いたら彼がそこにはいなくて、30メートルほど離れたところまでスプリントされていました。消える動きでマーカーを剥がすそんなテクニック、当時は誰も僕に教えてくれたことはなかったですけど、それ以来、僕も真似しました(笑)」

そして、第1戦を2対0でウェルディが快勝し、1週間後の1月16日に同じ国立競技場で行われた第2戦、「事件」は起きた。ジーコが日本に呼び寄せた同胞アルシンドのゴールにより、総合得点で1点差まで迫られながら、後半37分にヴェルディはPKを獲得した。激昂したジーコは主審に激しく詰め寄り、その後ペナルティースポットへと一人歩き、置かれていたボールにつばを吐いた。非紳士的行為でこの日2度目の警告を受け、ジーコにレッドカードが掲示されて退場処分となった。

「ボールにつばを吐く行為そのものは、許されるものではありません。だけど、対戦相手である僕らヴェルディの選手たちは、試合後にジーコを批判している選手なんて誰一人いませんでした。それどころか、試合後にみんなあの行為を褒めちぎってさえいました。一度は引退していた40歳になる大スターが、プライドを捨てて引退を撤回してまで、サッカー新興国のこの日本にやってきて、始まったばかりのプロリーグやプロチームを育てようと、まだあんなにも真剣になってくれている。ヴェルディに対する敵愾心(てきがいしん)や判定など、いろんな思いがあっての行為だったと思います。それでも、この試合に勝って優勝したいという気持ち、サッカーに対する情熱は、本物だよねと。彼よりずっと若い日本人の俺たちだって、もっともっと、メラメラと、燃えていいよねと」

 のちにジーコ本人は「事件」について、Jリーグ公式サイトの開幕25周年記念企画『THE LEGEND』で、「プロとして許されない、恥ずべき行為だった」と回顧している。

チャンピオンシップは第2戦で1対1の引分けとしたヴェルディが、アントラーズを下して初代王者に輝いた。

骨折、そして、自身の失敗による敗北の痛みから始まった、北澤にとってのJリーグ最初のシーズン。ジーコから多くを学んだ有終の美で、幕を閉じた。(敬称略)=続く=

 〇…北澤氏は、スポーツ報知で東京五輪サッカーの日本代表戦を切れ味鋭く解説している。1-0で勝利した22日の第1戦・南アフリカ戦については「立ち上がりから日本のペースで試合が進んでいたように見えるが、実は0-0でもいいというゲームプランを立てていた南アフリカのペースだった。後半26分に日本が先制し、ようやく南アフリカのゲームプランを崩すことができた」と冷静に分析。きょう25日の第2戦・メキシコ戦をどう見るかも紙面に注目だ。

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

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