上野由岐子「やっとこの舞台に…」13年ぶりにソフトボールが五輪競技復帰、85球に込めた思い

全競技の先陣を切ってソフトボールが開幕。5回途中1失点と好投し、コールド勝利に貢献した上野由岐子(カメラ・相川 和寛)
全競技の先陣を切ってソフトボールが開幕。5回途中1失点と好投し、コールド勝利に貢献した上野由岐子(カメラ・相川 和寛)

◆東京五輪 ソフトボール1次リーグ 日本8―1オーストラリア ※5回コールド(21日、福島県営あづま球場)

 23日の開会式に先立ち、13年ぶりに五輪競技に復帰したソフトボールの1次リーグが全競技の先陣を切り始まり、日本が開幕戦でオーストラリアに8―1で5回コールド勝ちした。2008年北京大会に続く金メダルに向けエース・上野由岐子(39)=ビックカメラ高崎=が5回途中1失点の力投。打線も3本塁打を放つなど得点を重ねた。コロナ禍により1年延期となった特別な五輪で、日本選手団に勢いをもたらした。

 上野の1球から、13年間止まっていた時計の針が再び動き始めた。「このマウンドに立つために取り組んできた。ワクワク感しかなかった」。22日に39歳を迎える右腕は高ぶる感情を抑えようと「丁寧に」入った初回。1死満塁から押し出し死球で先取点を与えたが、「大胆に」シフトチェンジ。後続を断ち切り、5回途中1失点、7奪三振の熱投で、東京五輪日本選手団の初陣で白星を呼び込んだ。

 新型コロナウイルス感染拡大で史上初めて1年延期された東京五輪。開幕戦も試合の11日前に無観客に変更された。球場に選手のかけ声、歓声を模したようなBGM、元気なセミの鳴き声が入り交じって響く。異様な空間の中心で「正直寂しい思いでいっぱい。ただ、一選手としてグラウンドでやるべきことは変わらない」と信念を貫いた。

 伝説の“上野の413球”で金メダルをつかんだ08年北京五輪を最後に、ソフトボールが実施種目から外れ、人気は急降下した。競技への情熱を失いかけ、代表を辞退した時期もあった。だが、次代を担う子どもたちの存在に突き動かされた。「私たちと同じ夢を持たせてあげたい。五輪に復活した時のために日本を弱くしちゃいけない」。ビラ配りなど地道な普及活動に加わり、復活を願い続けた。

 復興五輪を戦う使命も感じていた。11年東日本大震災当時、所属チームの本拠地の群馬・高崎市にいた。断水や計画停電で夜は携帯電話の明かりを頼りに寮で生活する日々の中で、ソフトボールができる環境が残されていたことが心の支えだった。だからこそ、16年に開幕戦が福島に決まると「何で自分たちが福島で試合をやらせてもらえるのか、何ができるのか、何を伝えられるのか」と5年間、考え続けてきた。

 北京決勝以来4717日ぶりの五輪のマウンド。さまざまな思いは85球に込めた。「やっとこの舞台に戻って来ることができた。積み重ねてきたソフトボール人生をぶつけたい」。上野にとっても、日本にとっても特別な五輪が始まった。(林 直史)

無観客のスタジアムで、円陣を組んで指を突き上げ試合に臨んだ日本チームの選手たち(カメラ・相川 和寛)
無観客のスタジアムで、円陣を組んで指を突き上げ試合に臨んだ日本チームの選手たち(カメラ・相川 和寛)

試合詳細
全競技の先陣を切ってソフトボールが開幕。5回途中1失点と好投し、コールド勝利に貢献した上野由岐子(カメラ・相川 和寛)
無観客のスタジアムで、円陣を組んで指を突き上げ試合に臨んだ日本チームの選手たち(カメラ・相川 和寛)
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