上野由岐子の苦闘…東京五輪への覚悟を「本気」にさせた大けが、プレーできず強まった競技や五輪への思い

5回途中1失点と好投し、コールド勝利に貢献した上野由岐子(カメラ・相川 和寛)
5回途中1失点と好投し、コールド勝利に貢献した上野由岐子(カメラ・相川 和寛)

◆東京五輪 ソフトボール1次リーグ 日本8―1オーストラリア ※5回コールド(21日、福島県営あづま球場)

 23日の開会式に先立ち、13年ぶりに五輪競技に復帰したソフトボールの1次リーグが全競技の先陣を切り始まり、日本が開幕戦でオーストラリアに8―1で5回コールド勝ちした。2008年北京大会に続く金メダルに向けエース・上野由岐子(39)=ビックカメラ高崎=が5回途中1失点の力投。打線も3本塁打を放つなど得点を重ねた。コロナ禍により1年延期となった特別な五輪で、日本選手団に勢いをもたらした。ソフトボール担当の宮下京香記者がマウンドに立つまでの上野の苦闘を「見た」。

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 「目が覚めた」―。上野の東京五輪への覚悟を「本気」にさせる出来事があった。当初日程では東京五輪まで1年3か月となった19年4月27日。日本リーグの試合で上野は、競技人生で初めてライナーを顔面に受けた。脳しんとうで倒れ込み約1分間、起き上がれなかった。「顎がズレている。こりゃダメなやつだ」。下顎骨骨折で全治3か月。投球時に歯を食いしばるため、周囲からは「五輪大丈夫か」との声もあった。

 当時36歳にして、人生初の全身麻酔と手術。食事は鼻からチューブで胃に直接流し込んだ。「げっぷしたらバニラの味がする」といい「味を変えてもらえませんか?」と要望するほど慣れなかった。少しずつ「赤ちゃんが食べるような」流動食に移行したが、口は思うように開かず食欲は湧かなかった。体重は約5キロも落ちた。

 つらい入院生活で、心のよりどころとなったのが母・京都(みやこ)さん(65)だった。実家の福岡から千葉の病室に駆けつけてくれた母は「一番信頼している人」で身の回りの世話、話し相手にもなってくれた。高校を卒業後、実業団入りしてから約20年。「ほぼほぼ帰省をしたことない」という上野にとって、思わぬ母娘水入らずの時間となった。「心穏やかに過ごせた」。ストレスを和らげてくれたのは母の愛情だった。

 7月まで地道なトレーニングを強いられたが、焦りはみじんもなかった。「たかが1、2か月休んだだけで忘れるほど、薄い(自分の)歴史ではない」。プレーできないからこそ、競技や五輪への思いは強まった。「どうしていきたいか、何をしないといけないか、考えるための大事な時間をもらった。『何か気づいてほしい』と神様が与えてくれた時間。逆にけがをして良かった」。まさにけがの功名。五輪へスイッチが入った。8月に実戦復帰すると「覚悟は決まった」と五輪の一点だけを見つめて過ごしてきた。

 当初は患部を固定する長さ約1・5センチのプレート2枚を顎に入れたまま五輪を戦う予定だったが、コロナ禍で史上初の1年延期が決定。昨年6月に「今がチャンス」とプレートを取り除く手術を受けた。違和感は消え、万全の状態で競技人生の「集大成」とする東京五輪に舞台に立った。よく「神様」という言葉を口にする上野。ソフトボールに計り知れない努力を注いできたその姿を、神様は見過ごすことはないだろう。顎の骨折から816日。ピンチをチャンスに変えられる運と08年北京五輪で頂点をつかんだ圧倒的な実力。全てを備えた日の丸のエースが今夏も主役を演じる。(ソフトボール担当・宮下 京香)

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