【夏競馬の名場面】「うわさの彼女」ノースフライトがベールを脱いだ93年夏の小倉の足立山特別

スポーツ報知
ノースフライトのデビュー2戦目の勝利を報じる当時の紙面(1993年7月26日付報知新聞大阪版)

 牝馬が強い。そんなフレーズが踊り出して、何年になるのだろう。平成以降、G1レースで牝馬が牡馬と互角に戦えることを示したのは、1997年の天皇賞・秋を制し、同年度代表馬に輝いたエアグルーヴだった。それから10年後、ウオッカとダイワスカーレットが出現する。そこからはブエナビスタ、ジェンティルドンナと、次々に歴史的な名牝が登場した。そして、アーモンドアイである。これぞ最強牝馬だったが、リスグラシューも、クロノジェネシスも強い。特にクロノジェネシスは現在進行形の活躍で、今秋の凱旋門賞が楽しみである。

 「末脚の切れ。これは牝馬に分があるんじゃないかな」。91年、最優秀スプリンターに輝いたダイイチルビーを送り出した伊藤雄二調教師は、わかりやすくカテゴリーのなかで語ってくれたことがある。同トレーナーはエアグルーヴの育ての親でもあるが、牝馬が牡馬より優位に立てるのは、マイルの舞台という説明だった。

 この馬はどうだったのだろうか。94年の最優秀4歳以上(古馬)牝馬ノースフライトである。同年の安田記念では、「フランスの貴婦人」と呼ばれたスキーパラダイスを撃破し、その秋のマイルCSを完勝。マイル路線では無類の強さを誇ったが、軌道に乗るまでは順風ではなかった。左前脚に不安を抱えながら、陣営は慎重にデビューを見極めた。スタートラインに立ったのは、3歳(当時4歳)の93年5月1日。新潟の未出走戦(芝1600メートル)で、2着に9馬身差をつけた。

 当時は「グリーンチャンネル」という競馬専門チャンネルも、インターネットもない時代である。馬券には「全国発売」という言葉があり、重賞以外の馬券(重賞でも一部制約があった)は、東日本、西日本のそれぞれのエリアの開催場、ウインズのみの発売だった。例えば東京の最終12Rの馬券を関西在住者は買えなかったのである。今では信じられない話だが、これが普通だった。そんな時代に新潟の未出走を圧勝したノースフライトの強さは、関西の関係者でさえ目にしていない「うわさの彼女」だったのである。

 2戦目は7月25日、小倉の足立山特別(500万下=現1勝クラス、芝1700メートル)だった。武豊騎手とのコンビで、うわさのスピードとパワーが爆発した。シロキタグローリに絡まれながらマイペースを貫いて、相手がばてると先頭に立って押し切ってしまった。2着につけた着差は8馬身。初戦と合わせると17馬身。いくら下級条件でもけた違いだった。続く900万クラス(現2勝クラス)で5着と取りこぼしたが、格上挑戦した府中牝馬S(当時1600メートル)で重賞初制覇。角田晃一騎手はアイスクリームをなめながら減量に挑み、50キロの斤量で乗りこなした。

 これだけで終わらない。エリザベス女王杯はホクトベガに1馬身半及ばず2着だったが、2400メートルにも対応した。暮れの阪神牝馬特別で2000メートルでも勝ち切った。ただ、翌年、陣営はマイル路線に徹した。引退の際、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念で、見たかったという意見は多かった。現在の競走体系のように、古馬になっても牝馬の活躍場所が多ければ…。1年半ほどの現役生活は、それほどまぶしかった。

(編集委員・吉田 哲也)

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