宝塚人生36年半の集大成・轟悠「年数じゃない。今を大切に」

スポーツ報知
ラストシーンで、轟悠が演じる細石蔵之介は本名の自分に戻り、新たな世界へ笑顔で旅立つ

 10月1日をもって宝塚歌劇を退団する専科スター・轟悠のサヨナラ作「婆裟羅の玄孫(ばさらのやしゃご)」(星組)が大阪公演に続き、東京芸術劇場プレイハウスで21~29日に上演される。1985年の入団から36年半。昭和―平成―令和と、変化に満ちた3時代を男役一筋で駆け抜けた“リビング・レジェンド(生きる伝説)”は「在籍していた年数じゃなく、中身の濃さ、時間の使い方が大事。『今』を大切に」と後進にエールを送る。(筒井政也)

 歌劇史108年の実に3分の1以上、第一線で磨き続けた男役の集大成。大名の出という身分を諸事情から隠して江戸の下町に生きる細石(さざれいし)蔵之介の活躍と運命を描く。彼は気っぷの良さで「石さん」と親しまれ、博学ぶり、武芸の腕で子供たちから「石先生」と敬われる。轟の愛称「イシサン」が由来だ。

 「トップ・オブ・トップ」と称される姿と重なる役どころ。「ちょっと美化しすぎ(苦笑)」と謙遜するが、昨年まで劇団の理事を務めていた立場。必然、稽古や舞台が下級生への教場となる。「学年に関係なく、気がついたところはいくつかアドバイスを。今の時代の宝塚に合わせた理解してくれるような言葉で。後は本人次第ですね」

 時の移ろいと同じく、タカラジェンヌ気質(かたぎ)も常に変化しているという。「私が入団した当初も『今年の初舞台生は変わっている』と言われましたから。社会全般と同じ。ただ、『大好きな舞台に立ちたい』という思いは、同じ方向ですので」と心配なし。「昔は携帯電話もなかったですが、不便なりに工夫をしてお稽古してましたし、今は便利なゆえに煩わしいことも多い。私は人間は永遠にアナログと思っています。けがで血も出れば、捻挫もする。人間の持つ全ての感覚を使って演じて、お客さまにその世界に浸っていただく。それ以外、何もない」

 ただ、忘れてはならないのが「品格」だ。白薔薇(ばら)のプリンスと呼ばれた春日野八千代さん(2012年死去)から受け継いだ信念。「先輩方の思いの中で私たちは立たせてもらっている。感謝の気持ちを常に忘れないこと。自由に好きなことをすればいいのではなく、舞台のことに集中してオフも生活をしていく。宝塚は夢の世界。そこにふさわしくない言動は慎む。基本中の基本だと思います。でも、難しいですけどね」

 6月に出演した「寺田瀧雄没後20年メモリアルコンサート」でOGと交流し、その思いを新たにした。「皆さん、とても優しくて。下級生に対して惜しみない愛情を持って接してくださり、コロナから宝塚を守らなきゃ、という強い気持ちを持たれていた。『清く正しく美しく』―。一生忘れてはいけないもの。私もそうありたいと願います」

 もちろん、最も感謝すべきは観客の存在。コロナ禍では、なおさらだ。「舞台を見ることに、きっとご家族の反対もあると思う。でも、(上演の)3時間、嫌な普段の生活から逃避でき、応援している生徒の姿を見たい、と思ってくださる気持ちがありがたい。マスクをされてても、きっと笑顔だと思っています」

 使命は変わらない。公演終了後は8、9月にディナーショーを行うが「構成はいつもと同じ。『これでサヨナラ』ではなくて『いつもの轟さんだった』と思っていただけるように務めたい」と、最後までファンが求める「轟悠」を貫く。だから、卒業後の地図は白紙だ。「決めていないというのが正直なところです。退団後に、風の便りで皆さまのお耳に入ればいいかな?(笑い)」。風と共に、古巣への愛も伝わってくるはずだ。

 【轟悠の歩み】

 8月11日生まれ。熊本県人吉市出身。人吉市立第一中学校出身。身長168センチ。愛称「イシサン」「トム」。

▼1983年4月 宝塚音楽学校に入学

▼85年3月 音楽学校を卒業。宝塚歌劇団入団。「愛あれば命は永遠に」で初舞台。のちに月組配属に

▼88年7月 雪組へ組替え

▼94年5月 当たり役「風と共に去りぬ」のレット・バトラー役に初挑戦

▼96年2月 「エリザベート」の宝塚初演で暗殺者ルキーニ役を担当

▼97年7月 雪組トップスター就任

▼02年2月 専科へ異動

▼02年4月 「風と共に―」のバトラー役で第28回菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞

▼03年6月 劇団理事に就任

▼17年2月 「For the people」のリンカーン米大統領役で第24回読売演劇大賞・優秀女優賞を受賞

▼20年7月 理事を退任し、特別顧問に就任

◆植田作品で有終

 「婆裟羅―」は、2019年まで2年に1度開催された「宝塚舞踊会」の常連・轟が「日本舞踊を踊りたい」と自ら希望して和物を選び、初舞台作「愛あれば命は永遠に」を手掛けた重鎮・植田紳爾氏(88)に演出を依頼した。「雪組トップに就任した時、ふと『植田先生の作品で退団したい』と思って。それが現実になったことにビックリ。ずうずうしくも『明るく楽しいものを』とお願いしましたら『じゃあ、さわやかに笑顔で』と」

 花柳流・山村流の踊り、殺陣のシャープな立ち回りなど和の芸事の見どころも多い。「多くの先生方からプレゼントをいただいている気がします」と喜んだ。カラッとした痛快時代劇だが、終盤は卒業公演らしく涙を誘う場面も。蔵之介は、本名の自分に戻って国へ帰ることを決める。「爺(じい)」と信頼を寄せる彦左(専科・汝鳥伶)とのやり取りは、まるで宝塚人生を振り返る問答のようだ。「これからは私の知らない世界。どうなるのか」と悩めるセリフもある。

 彦左は日本に起きた数々の天災を引き合いに「明日のことなど分かりません」と迷わず進むよう諭し、蔵之介は腹を決める。轟は昨年7月の熊本集中豪雨で実家が甚大な被害に見舞われた。コロナ禍もまだ続く。今を懸命に生きる、その連続。長い歴史をつづってきた宝塚の申し子からの、日本人に対するメッセージでもある。(筒)

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