東京五輪代表は14日、五輪前最後の試合となるスペイン戦(17日)に向け、神戸市内で練習を行った。13日は右太ももの張りで別メニュー調整だったMF三笘薫(24)=川崎=が部分合流。武器のドリブルを築いた裏には、筑波大在籍時から同大准教授で陸上110メートル障害元日本記録保持者の谷川聡氏(49)に受けているトレーニングがある。五輪連載「頂点を衝(つ)け」では、谷川氏の言葉から三笘をひもとく。(取材・構成=小口 瑞乃)
筑波大時代から指導する谷川氏が明かしたのは、持ち前の向上心だった。
「トップになりたい気持ちがずっと伝わる選手。蹴球部で個別に教えてほしいと言ってきた選手はそこまでいないが、おそらく自分に必要と考えて指導を頼んできたのだと思う。何回かやってみて良ければ続けていこうと」
蹴球部は週に1度、大学院研究生のサポートも受けながら陸上専門のトレーニングを導入。体の使い方への興味を深めた三笘は、大学2年の冬頃から個人的にも谷川氏の元へ足を運んだ。三笘の走りを見た第一印象を、こう語る。
「多くのサッカー選手が(小股の)ピッチ型で走る中、三笘はストライドを生かすタイプだった。ギュッと止まるのとしなやかな走り。ただ、捻挫も股関節周りのけがもする走りだろうなと思った」
足を遠くに着地する分、方向転換の際に過度の負荷がかかり、当初はけがに悩まされていた。本人も弱点に気づきながら、解決の糸口をつかめず。改善ポイントとして着手したのはお尻の強化だった。
「(相撲の)四股と一緒でお尻に(上半身が)乗るように。中殿筋(お尻の横)がしっかりしないと、体は操作できない。お尻とおなか周りのコンビネーション強化が練習の基本だった」
片足支持で足の付き方を確認。背骨を通じて力が伝わる、三笘の技術に合う動きを染みこませた。ステップワークや緩急をつけた走りの中にあるスピードを追求。速く止まり、速く動き出す「加速度」に磨きをかけ、森保監督が「ボールを持ってからスピードを上げられる」と評する選手へと成長した。
谷川氏は川崎加入後もアドバイスを送るが、「良い状態の選手には干渉しない」と決めている。三笘は己の力で成長できる確信があるからだ。
「選手には『飼い犬じゃなくて野良犬になれ』ってよく言うんです。彼は自分のうまくいかない部分やストロングポイントが分かるので『これはやめときます』と言える。それが言えるかは分かれ目。自分が主体になって選択できる選手が生き残る世界」
16歳から谷川氏の元に通う東京五輪代表MF久保建英(20)と一緒にトレーニングを行うこともあった。学年は違うが同じ川崎下部組織出身の2人は常に高め合い、本番でも好連係が期待される。
「仲良いですよ。2人ともとりあえずチャレンジしようという気持ちがある。三笘は『建英があれだけ活躍してるから俺も頑張らなきゃ』と。建英も想像以上の(三笘の)活躍に驚いていました」
サッカーに生きるスプリント能力を伸ばし続ける三笘。東京五輪の大舞台にも一歩一歩近づいており、谷川氏はそのピッチで疾走する姿を思い描く。
「走りに変化はあったけど、プレーに生かせるかは本人次第。自分がなりたい選手になってくれれば良い。世界で日本人でもこれだけやれるぞっていうようにはなってほしいかな」
◆初戦「大丈夫」
〇…三笘は14日、本大会に間に合わせることを宣言した。13日は右太ももの張りで室内調整だったが、この日はグラウンドでウォーキングをこなした。22日の初戦・南アフリカ戦へ「そこは間違いなく大丈夫だと思っている。しっかり治してコンディションを上げていきたい」と話した。
◆三笘 薫(みとま・かおる)1997年5月20日、神奈川・川崎市生まれ。24歳。川崎下部組織を経て筑波大進学。昨年、川崎加入1年目に新人最多タイとなる13得点をマークし、ベストイレブン選出。今季は20試合8得点。178センチ、71キロ。右利き。家族は両親と兄。
◆谷川 聡(たにがわ・さとる)1972年7月5日生まれ。49歳。東京都町田市出身。八王子東高、中大卒業後に筑波大大学院に進学。2000年シドニー五輪、04年アテネ五輪110メートル障害代表(ミズノ所属)。アテネ五輪で13秒39の日本記録(当時)を樹立。筑波大陸上競技部監督も経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科体育系准教授。