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冨安健洋は小学生で「おじいちゃんのように落ち着いてた」

小学生時代、三筑キッカーズでプレーしたDF冨安健洋(辻寛二代表・提供)
小学生時代、三筑キッカーズでプレーしたDF冨安健洋(辻寛二代表・提供)
冨安健洋
冨安健洋

 度重なる「偶然」からサッカー人生が始まった。DF冨安健洋(22)=ボローニャ=は幼稚園の頃、家でランニングマシンで遊んでいた際に転倒。あごを数針縫うケガを負った。当時、姉2人の影響で習おうとしていた水泳ができなくなり、代わりにサッカーの体験教室へ。それが競技との出会いだった。

 まだある。小学1年の頃、地元・福岡市の自宅マンションの通路を猛スピードで疾走。「タケは速くて走り方がキレイで、驚きました。すぐに知人を介してうちのチームに誘いました」と、偶然見かけた三筑キッカーズの辻寛二代表(70)に“スカウト”された。陸上走り幅跳びの元選手だった母・佳代子さん譲りの脚力は、幼稚園のマラソン大会で何度も優勝するほど飛び抜けていた。

 小1で入団後はFWでプレーし、1試合5得点したこともある。「ドリブルは恐ろしく速かった」と辻氏。長身と走力を買われ、小5からセンターバックでプレーした。その頃から週2回、バルセロナスクール福岡校にも掛け持ちで通い、ボランチやサイドバックも経験。日々変化する環境にもまれ、課題が見つかれば近所の公園で何時間でも練習した。

 試合中は寡黙で感情を荒らげず、ガッツポーズも悔しくて泣くこともなかった。辻氏は「まわりの子がボールに集まっても、タケは我慢強くチャンスを待ってボールを奪う。おじいちゃんのように落ち着いてた」。小4で小6の公式戦に飛び級でコンスタントに出場。「ヘディングは頭が悪くなるからするな、と指導したくらい。怒ったことはなく、育てた感覚もない」と辻氏は言う。

 19歳で海外移籍し、A代表の主力に定着。大舞台でも落ち着きあふれるプレーは、東京五輪代表の“4人目のオーバーエージ”とも称される。5月から痛めた右膝も復調。「金メダルという目標にむけてピッチで貢献したい」。少年時代から変わらぬ冷静な口調で言い切った。

(星野 浩司)

 ◆冨安 健洋(とみやす・たけひろ)1998年11月5日、福岡市出身。22歳。中学から福岡の下部組織で育ち、高3の16年にトップ昇格。18年1月にベルギー1部・シントトロイデン、19年7月にイタリア1部・ボローニャへ移籍。18年10月に19歳でA代表デビュー。187センチ、84キロ。利き足は右。

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