【夏競馬の名場面】95年暮れの香港で快挙果たす7歳フジヤマケンザン、七夕賞はトップハンデで激走

スポーツ報知
7歳時に快進撃を見せたフジヤマケンザン

 5年前から日本馬が参戦する海外の主要レースの馬券が、国内でも発売されるようになった。日本馬が海外遠征することに驚きを感じない時代だが、1990年代前半、岡部幸雄、武豊の両騎手が積極的に日本を飛び出して海外で騎乗していたが、まだ馬の遠征は珍しかった。

 1995年12月10日、香港シャティン競馬場で行われた香港国際カップにフジヤマケンザンが出走。前年に続く2度目のチャレンジで見事に優勝した。日本馬の平地海外重賞勝利はハクチカラ(ワシントンバースデーH)以来、36年ぶり。格付けは国際G2で、日本調教馬初の快挙だった。父ラッキーキャストは、テンポイントを送り出した名門・吉田牧場の生産馬で、今では死語になった「父内国産馬」だった。しかも7歳(当時は8歳表記)という峠を過ぎていてもおかしくない年齢で大きな花を咲かせた。

 フジヤマケンザンは1991年1月、戸山為夫厩舎からデビュー。体質が弱く春シーズンは休養を余儀なくされたが、1500万クラスの身で菊花賞に出走し3着。翌春に中日新聞杯で重賞初制覇。500キロを超える雄大な馬格、先行力があり、自在なレース運びで一線級にまじっても好勝負を繰り返していた。

 戸山調教師の死後、1993年秋から開業した森秀行厩舎へ。「おとなしく、手がかからない」(森調教師)という優等生で、スタッフには「ケンちゃん」の愛称で呼ばれた。気付けば、周囲にいるライバルはサンデーサイレンス、ブライアンズタイム産駒ばかりである。そのなかでキラリと光る存在だった。

 意外だったが、500キロ台の馬っぷりに似合わず、斤量に敏感だった。G1で結果が出ず、ハンデ戦では実績があるため重い斤量を背負わされることが多く、5歳時は白星に恵まれなかった。6歳時には、56キロで出走できた吾妻小富士オープン、BSNオープンといった「オープンレース」で2勝した。

 それだけに7歳の快進撃は見事だった。中山記念で優勝。それだけではない。7月9日、七夕賞では58・5キロのトップハンデを背負って強さを見せつけた。今春に引退し、調教師に転身した蛯名正義騎手との名コンビが、夏の福島で鮮やかに決めた。暮れの香港制覇につながる激走だった。

 2016年、フジヤマケンザンは老衰で旅立った。故郷の吉田牧場ではテンポイントと共に静かに眠っている。

(編集委員・吉田 哲也)

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