歌舞伎の名門の家、芸の伝承もさまざま。中村扇雀が“教えなかった父”坂田藤十郎を失って気づいたこと

「こんぴら歌舞伎」の会見に出席した中村扇雀(左)と坂田藤十郎さん
「こんぴら歌舞伎」の会見に出席した中村扇雀(左)と坂田藤十郎さん

 歌舞伎の名門と呼ばれる家に生まれた人たち。子守歌から邦楽を耳にし、自然に伝統芸能、歌舞伎の世界に慣れ親しんでいくものと思われがちだ。日常生活の中心に歌舞伎がある環境。家族でご飯を食べていれば、何々の演目のどの場面の何代目の芝居…など当たり前のように歌舞伎の話になるのが自然な光景。みんなそんな家ばかりなのだろう、と勝手に思い込んでいた。

 ところが、昨年11月にこの世を去った坂田藤十郎さんは息子たちに「教える」ということをしない人だったという。次男の中村扇雀が、いま東京・国立劇場、歌舞伎鑑賞教室「人情噺文七元結」(23日千秋楽)で左官長兵衛(尾上松緑)の妻お兼を味のある演技で見せている。5月の取材会のことだった。扇雀が父に対する心境の変化を語ったのが、とても興味深かった。

 「父の生前、僕は父からは何も教わらなかったとインタビューで言っていました。しかし、いなくなったいま、思うのは教えない訳ではなかった、ということ。相手役など一緒に舞台に立つことを通して勉強しろ、という意味だったと思うんです」

 2019年3月のインタビューを思い出す。扇雀は7歳で初舞台を踏んだが、10代は学業優先で歌舞伎に出ていない。兄の中村鴈治郎ともに慶大卒。母は女優で大臣や参議院議長も務めた扇千景。恥ずかしくない良識ある社会人に育ってほしい、という願いが背景にあった。しかし、歌舞伎役者としてはハンデともいえる遅い本格スタート。手取り足取り教えてくれたのは中村勘三郎さんだった。

 「父は自分はできても教えるのが得意な人でない。よく聞かれますが、家で芸の話が出ることも本当にない。これらの(人生の)選択が正しかったのかどうか。僕は考えないようにしているんですよ」。そんな風に答えていた。「考えないようにしている」という表現が頭から消えなかった。誰を責めても羨んでも意味がない、仕方がないということを自分に言い聞かせているように思えた。しかし、父の喪失により、大きく変化していた。

 「父を亡くして、初代中村鴈治郎に始まるうちの一族が、僕の上に乗っかっている。そのことを改めて考えたんですね」といい、「父は、何かを始めるとき、僕たちに相談することもなければ、始める意図を説明することすらなかった。あるのは結論のみ。父の心の中で何が起きていたのか。それを探り続ける作業もまた芸を引き継いでいく、というだと思い始めています」

 話す一語、一語に揺るぎないものを感じた。「教えなかった」ことが、結果として歌舞伎の芸を目先ではなく、広く深く考えることに気づかせた。何ともいえない味わいのある今月の舞台の存在感からも、新たな決意が伝わってくるようだった。(記者コラム)

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