箱根駅伝ランナーでメルボルン五輪男子マラソン5位の川島義明さん「『学生だから』は通用しない」

思い出を語る川島義明さん
思い出を語る川島義明さん
第33回「箱根駅伝」復路8区で快走を見せる日大時代の川島義明さん(1957年1月3日撮影)
第33回「箱根駅伝」復路8区で快走を見せる日大時代の川島義明さん(1957年1月3日撮影)

 陸上の東京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権が24日に大阪・ヤンマースタジアム長居で開幕する。3000メートル障害日本記録保持者の三浦龍司(順大2年)は、26日の決勝で3位以内に入れば代表に内定。5月の日本選手権1万メートルで2位だった田沢廉(駒大3年)も五輪出場の可能性を残す。これまで五輪に出場した現役の箱根駅伝ランナーは計26人。日大2年時に1956年メルボルン五輪男子マラソンで5位と大健闘した川島義明さん(87)は世界を目指す学生ランナーたちに熱いエールを送った。

 現役学生が五輪マラソンに出場するだけで快挙なのに、メダル争いまで演じた。1956年メルボルン五輪。当時、日大2年だった川島さんは30キロ地点を3人の2位集団で通過した。35キロ手前で集団から遅れ、4位に後退。競技場に入ってから1人に抜かれ、5位でゴールした。

 「今と違って大会スタッフが少ないから、途中、何位で走っているか、伝えられていなかった。通過順位も最終成績も走り終わった後に知りました」

 もし、途中で順位が分かっていればメダル獲得もあり得ただろうか―。そんな仮定を川島さんは潔く否定する。

 「みんな条件は同じだし、私は持てる力を出し切った。その結果が5位です」

 初めて南半球で行われたメルボルン五輪は11月下旬~12月上旬に開催され、マラソンは12月1日だった。川島さんは五輪マラソンからわずか1か月後に箱根駅伝8区に出場。区間2位と踏ん張り、日大の戦後初、16年ぶりの優勝に貢献した。箱根駅伝の理念「箱根から世界へ」を学生のうちに実現した川島さんは、自身と同じ道を目指す三浦や田沢らに温かく、そして厳しいエールを送る。

 「三浦君も田沢君もスピードがある。持てる力を出し切ってほしい。日本代表に選ばれたら『学生だから』という言い訳は通用しない。五輪を目指すランナーなら、もちろん、分かっていると思いますけど」

 川島さんの言葉は“レジェンド”ならではの深みがあった。(竹内 達朗)

 ◆川島 義明(かわしま・よしあき)1934年5月10日、茨城・川根村(現・茨城町)生まれ。87歳。55年に水戸農高を卒業後、実家の農業を2年間手伝い、20歳で日大に入学。2年時の56年メルボルン五輪マラソン5位。箱根駅伝は1年10区2位、2年8区2位、3年3区1位、4年3区4位。59年に卒業し、名門のリッカーミシンに入社。その後、横浜市で印刷会社などに勤務、2015年に退職。159センチ、54キロ(現役時)。

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第33回「箱根駅伝」復路8区で快走を見せる日大時代の川島義明さん(1957年1月3日撮影)
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